イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: フランジーニ・フィーニ館とマノレッソ館

ピザーニ・グリッティ館を更に右へ進みますと、右のオストレゲ運河(r.delle Ostreghe[=ostrica牡蠣]の右に、フランジーニ・フィーニ館[掲載した写真は Ferro Fini 館としています]が現れます。R.ルッソ 著『ヴェネツィアの建物』(1998)は、この館について次のように述べています。
フランジーニ・フィーニ館ほか「1638年弁護士トンマーゾ・フランジーニは、ジャンバッティスタ・コンタリーニからサン・モイゼ地区の2棟の建物を手に入れ、今日見るような館を建てた。あらゆる可能性を考慮すると、この建築案はピエートロ・ベッティネッリに委ねられたと思われる。この名前はフランジーニの1628~45年の帳簿にしばしば登場する。

トンマーゾの娘マリエティーナはその後フィーニ家に建物を売却した。時あたかも、夫ベネデット・ソランツォと共にサン・ジェレミーア地区の新居に移り住むと決定した時のことのようである。

フィーニ家はキプロス(Cipro)島出身で、商売で莫大な富を築いていた。相当以前からヴェネツィアに移住してきており、1649年にはヴェネツィア貴族の一員となっていた。その世紀後半、建物を刷新しようと大運河沿いの館の大半を改築した。信頼出来る説によれば、建築はアレッサンドロ・トレミニョンが手掛けた、と。この一家は既に彼に、近くのサン・モイゼ教会の豊饒なファサードを注文していたのである。

[「サン・モイゼ教会は、8世紀に創建され、聖ウィクトル(S.Vittore)に献堂された。10世紀モイゼ・ヴェニエールとかいう人物により再建され、教会は彼の名に因むことになる。現在の形は1632年のもので、1668年のファサードはアレッサンドロ・トレミニョンの手になる華麗なバロック建築である。鐘楼はヴェネツィアの典型的な1300年代形式のものである」
と、『Calli, Campielli e Canali』は述べています。]

続いて所有権の移動とそのホテルに適合させる工事のお陰で、内部の1700年代の豪華な装飾群は姿を消した。スタッコ細工の額縁に収められた絵画群、金箔やポリクロミーで装飾された梁や桁等のトラス類、大量の調度備品類は失われてしまった。

1800年代グランド・ホテルと称するホテルだったが、ヴェネツィア長期滞在が何度かある、そのある時期、ジョン・ラスキンが宿泊した。建物は杉の大木の土台の上に立ち上がっていると言われている。現在、ヴェーネト州の所有で州議会の所在地である。」

フランジーニ・フィーニ館を更に進みますと、右にマノレッソ館[『ヴェネツィアとその入江』(1926)はマノレッソ・フェッロ館としています]が現れます。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)はこの館を次のように書いています。

「15世紀後半の建築によるこの館は、ファサードに見られることから分かるように、色々の改築を経ている、即ち、3階の尖頭式窓は2階や4階のルネサンス様式の窓と対比される。この館は1800年代にも増築された。隣のフランジーニ・フィーニ館と共に州議会の所在地である。

古い年代記は記している、ステーファノ・マノレッソとか名乗る人物は、元老院の会議に遅れてしまい、馬に拍車をかけて疾走し、サン・マルコ鐘楼傍で若者を跳ね飛ばし、死に至らしめたことがあった。こうした出来事は少なからずあり得たことのようで、1400年代に出た通達は、サン・マルコ広場で馬をギャロップで走らすことを禁じている。

この事がヴェネツィア人を揶揄するような伊語の言い方の元となり、チンタラしたのろい歩調で馬を走らすことを、《ヴェネツィア式に乗馬する(cavalcare alla veneziana)》と言うようになった。
[これは現在、修道女運転の車や、あるいはヴェネツィア・ナンバーの車を見たら気を付けろ、近付くな、というドライヴァー仲間の言い方に繋がっているのでしょう。]

1500年代の証言が教えてくれること: ある理知的な貴族が馬がどうしても進まないので、空中にハンカチを広げ、それを見て〝理に適った″言葉を吐いた、《この哀れな動物は動こうともしない、向かい風なのだ》と。」

マノレッソ館右隣は、シェイクスピアの『オセロ』で有名な〝デズデーモナ″の館コンタリーニ・ファザーン館です。この館については、2010.07.03日にコンタリーニ・ファザーン館で触れました。
  1. 2013/12/25(水) 00:10:08|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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