イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文芸評論に表れたヴェネツィア――鳥越輝昭(3)

『表象のヴェネツィア――詩と美と悪魔』(春風社、2012年11月21日)は、神奈川大学の公開講座で話されたこと等を土台に執筆されたようです。中身は《カナレットと逃げ出す芸術家たち》《バイロンと「ためいきの橋」の出現》《『マリーノ・フェリエーロ』と『ヴェネツィアの一夜』の貴族政批判》《『夏の嵐』と『ヴェニスに死す』のなかの魔界》《『ホフマン物語』――悪魔と鏡》《レニエ『顔合わせ』と鏡の照応》《L・P・ハートレー――異文化と罰》《『旅情』のなかの異文化》《ホイッスラーと裏町の詩情》《<死の町>ヴェネツィア――「死の潟」と<ゴンドラ=棺>》《ヴェネツィア表象史とディエーゴ・ヴァレーリ》と目次にあります。
『表象のヴェネツィア』中でも第一章《バイロンと「ためいきの橋」の出現》は興味深いものでしたので、この章から抜書をしてみます。
「……この十七世紀初めに架けられた石造りの橋は、その後の百数十年間はおそらくは名所ではなく、《ためいきの橋》という呼び名もなかった建造物だったようで、ヴェネツィア共和国の消滅前後からにわかに名所化したものらしい。《ためいきの橋》のそういう劇的変化は、大局的にはヨーロッパの思想風土の変化に起因するものだが、直接的には英国の詩人バイロンによる表象の仕方が大きく作用した。」
……
「……カナレットの絵のなかでは、重要なモニュメントがひとつ欠けている。この絵は、その名所を見せることをまったく意図しない画角から描かれているのである。その名所とは《ためいきの橋》である。だが、およそ百年後にターナーがほぼ同じ場所を描いた絵のなかでは、《ためいきの橋》は主題となり、実際より高い位置に置かれて強調されている。
カナレット『サン・マルコ湾から見たサン・マルコ潟岸』溜息の橋左、カナレット画『サン・マルコ湾から見たサン・マルコ湾岸』部分(1740 ca.)。右、2013年の《ターナー展》で来日したターナー画『溜息の橋』(1840)。
ツーリング・クラブ・イアリアーノ刊の都市ガイドブック『ヴェネツィア案内』は充実した内容で知られる書だが、《ためいきの橋》を扱う箇所に、「この名は、おそらく、ロマン主義時代に、思いつきで作り出された名だろう」という興味深い一文がある。この指摘は表面的にはかならずしも正確ではない。

カサノヴァの『回想録』を見ると、1750年代、ヴェネツィアの牢獄からの脱出を記す有名なくだりに、「いわゆる《ためいき》という名の橋 le pont qu'on nomme des Soupirs」という表現が見られるからである。[カザノーヴァの『回想録』執筆時は1780年代]
……
「……ゲーテとおなじころヴェネツィアを訪れた人物のなかに英国の文学者ウィリアム・ベックフォードがいるが、ベックフォードは《ためいきの橋》に強く惹きつけられている。……ベックフォードの頃には、統領宮殿と国家監獄とを結んでいたこの橋は、橋を渡らされる囚人たちの《ためいき》を連想させる建造物になっていたらしい。……

カサノヴァ『回想録』に見られる「『ためいきsoupirs』という名の橋を越えて牢獄に入れられた」という表現や、ベックフォードの「この建造物が《ためいきの橋 Ponte Dei Sospiri]』と名づけられているのも無理からぬことだと思う」という表現に注目すると、1780年代ごろまでには、現地ヴェネツィアでこの橋が《ためいきの橋》と呼ばれるようになっていたことが推測できる。……」
……
「当時のヴェネツィアでは地元の人達の間で、この橋が《ためいきの橋》と呼ばれていたと見てよいだろう。いいかえれば、それはローカルな呼び名であり、この橋はローカルな存在だったわけである。そういうローカルな存在だった《ためいきの橋》を、一躍ヨーロッパ全土に知らしめ、有名にしたのが、バイロンの詩のつぎの二行である。

I stood in Venice, on the Bridge of Sighs;(ぼくはヴェネツィアの《ためいきの橋》のうえに立っていた。)
A palace and a prison on each hand:(宮殿があり 橋の両側が監獄だった)」
 ――鳥越輝昭『表象のヴェネツィア――詩と美と悪魔』(春風社、2012年11月21日)より
 [現地名 Ponte dei Sospiri → 各自国語(Bridge of Sighs 等)へ呼称の移行]

《溜息の橋》について、2012.07.21日のジョン・ラスキンの中で触れました。
  1. 2014/01/22(水) 00:03:51|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!

聖パトリツィオの井戸の名前の由来を知ることが出来、うれしかったです…相方に聞いても知らなかったもんですから(笑)
また「まいまい井戸」の名前が面白いですね~!
  1. 2014/01/24(金) 07:55:54 |
  2. URL |
  3. Makitalia #-
  4. [ 編集 ]

雛罌粟さん、コメント有難うございます。
聖パトリックに興味を持ってから、聖パトリツィオを経てアイルランドの聖人に
辿り付くまで2年ほどかかりました。何しろヨーロッパは広いですし、繋がって
います。だから面白とも言えます。
  1. 2014/01/24(金) 15:07:12 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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