イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

天正遣欧少年使節(6)

今日、九段のイタリア文化会館アニェッリ・ホールで『天正遣欧使節の偉業が今、蘇る』――伊東マンショ没後400年顕彰記念祭という催しがあり、参加しました。かつてこのブログで2008.03.21日の天正のローマ使節(1)~2008.04.18日の天正のローマ使節(5)で、彼らとヴェネツィアの関係について触れました。伊東マンショ達がローマで2人の教皇に謁見した後、帰国途次ヴェネツィアにも立ち寄っていたからでした。
伊東マンショ没後400年顕彰記念祭今回のイヴェントでは、鹿児島県立図書館館長原口泉氏の講演『伊東マンショら4人の少年たちが歴史を変えた』やテレビ宮崎制作『MANCIO(天正遣欧使節伊東マンショの生涯)』というDVDの上映。またマンショ所縁の音楽会としてマンショが体験したと思われる聖歌(マンショはエヴォラの教会でオルガン演奏を披露した)の合唱や、ソプラノの川越塔子さんら宮崎県出身者による演奏がありました。

彼らのヨーロッパでの行動は三宅坂の国会図書館に何度か通い、ルイス・フロイスの『九州三侯遣欧使節行記』(岡本良知訳注、東洋堂、1949年)で知りました。四少年使節の事を三浦哲郎さんが『少年讃歌』(文春文庫、1986.11.10)として小説化されています(陣内秀信先生がヴェネツィア留学中、三浦さんが取材でヴェネツィアに来られた時、教皇庁神学校の中庭にある、彼ら記念の碑に案内されたと聞きました)。そして何よりも故若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ――天正少年使節と世界帝国』(集英社、2003年10月30日)という550ページにも及ぶ大作があります。
クアトロ・ラガッツィクアトロ・ラガッツィ裏 巡察師ヴァリニャーノと日本四使節をローマに送る企画を立て、実行した伊人ヴァリニャーノについては、上掲のヴィットリオ・ヴォルピ『巡察師ヴァリニャーノと日本』(原田和夫訳、一藝社、2008年7月10日)が詳しいのですが、東洋への布教活動を最初に始めたポルトガル人やスペイン人ではなく、若いイタリア人が上に立つ巡察師に抜擢されたことでの苦労は色々あったようです。

「……最初、イエズス会総長と変らぬ大きな権限が彼に与えられていることが理解されなかった。ポルトガル人でなかったことと年齢が若すぎたことで、彼に対する抗議行動が持ち上がる可能性があった。だが、巡察師に与えられた権限は、東インド・イエズス会の全責任を彼に付託するもので、ポルトガル管区長に相談する義務もなかった。ましてや、一五九六年まで司教が置かれることのなかった日本では教会の全活動を指揮することができた。

しかし、この事実は、自国の発見した領土内の教会の商取引で独占権を与えられていたポルトガル人イエズス会士の指導部には、歓迎されるはずもなかった。特に、イエズス会の創設者を個人的に知り、現在の王のかつての後見人でもあったルイス・ゴンサルヴェス・ダ・カマラにとって、政治経験の少ない若造に意見されるのは我慢できることではなかった。

ポルトガル・イエズス会幹部は、自分たちの助言を聞かずにインド管区を指揮しようとするのは、無礼きわまる行為だと考えた。ヴァリニャーノ自身が言っているように、《彼らは、自分たちの手からインドにおける権限を取り上げたという事実を、黙って見過ごすことができなかった》のである。……」
  ――ヴィットリオ・ヴォルピ『巡察師ヴァリニャーノと日本』(原田和夫訳、一藝社、2008年7月10日)より

私がリンクさせて頂いている shinkai さんがブログヴァティカン訪問 天正四少年使節のご縁によりテアトロ・オリンピコサン・ベネデット・ポーで、四使節の事に触れられています。そちらもご上覧ありますように。また私が4人の中で最も関心の高い中浦ジュリアンについては、次のブログ中浦ジュリアン…天正遣欧使節団もご覧下さい[日本、ポルトガル合作のジュリアンを主人公にした映画が以前ありました。ミゲルが幕府の尋問役人に転向したという設定でした。題名は『アジアの瞳』だったでしょうか。赤坂の草月会館ホールでの上映だったと思います]。 ――《天正遣欧少年使節》(7)に続く
  1. 2013/11/16(土) 21:30:46|
  2. | コメント:2
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コメント

こんにちは! お久し振りです。
この度はたくさんリンクを頂きまして、有難うございます。

彼らの西欧での行程に於いてどれ程の歓迎を受けたものかは、その土地土地に残る歴史資料に於いて辿る事ができ、王侯並みの歓迎であった事が良く分かります。 
が、帰国後の運命は、若桑みどりさんが書いておられる様に、あの時の日本が鎖国の方向に進んだがために酷いものとなりました。

中浦ジュリアンは確か老年にいたり、刑死された方ですね。 楽しみにしております。

  1. 2013/11/18(月) 07:38:58 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有難うございます。
今や何年前になるかよく分かりませんが(10年以上前のことです)、
日本、ポルトガル合作のジュリアンを主人公に据えた映画を見た
ことがあります。千々石ミゲルが棄教をジュリアンに迫る幕府の
役人という設定でした。
地下に潜伏して布教活動を続けながら、結局65歳で穴吊りの刑で
殉教するという、多分一番苦しい生涯を迎えた彼が、4人の中で
一番長生きだったという巡り合わせ。
かつて日本に来た西洋人、米人ペリー提督でさえ天正遣欧使節の事
を知った上で来日していると知ると、不思議な感慨です。
  1. 2013/11/18(月) 13:53:36 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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