イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

天正遣欧少年使節(8)

「(続き)――『カトリック大辞典』で四使節のことは概略読んでいた。ヴァリニャーノの『デ・サンデ版 天正遣欧使節記』やルイス・フロイス著『九州三侯遣欧使節行記』(岡本良知訳、東洋堂)を読んだ上で、撮って来た写真を伸ばしてカリタ同信会館の碑文を読んでみた。それは伊語に似ているが、16世紀のヴェネツィア語ではないかと思われた。ボエーリオの『ヴェネツィア語辞典』で調べても分からない言葉もあったが、その意味は概ね以下のようではなかろうか。
四少年遣欧使節伊東マンショ左、京都大学図書館蔵から、上右、赤い冠を手にする伊東マンショ。上中、メスキータ神父。上左、千々石ミゲル。下左、原マルチノ。下右、中浦ジュリアン[上左の白い手袋を印として手にする少年がジュリアンで、正使のミゲルを下右とする説明もあります]。
《日向藩主の甥で豊後藩主の教皇使節の伊東マンショ殿、有馬藩主そして大村純忠(バルトロメオ)氏の従兄弟の千々石ミゲル殿、肥前藩の重臣中浦ジュリアン殿と原マルチノ殿は1585年7月5日裏半球の極地日本から来訪し、ヨハネス・ベッサリオン枢機卿の遺贈されたこの同信会館の聖遺物を拝観した。藩主と彼らの名においてカリタ同信会館の名を高からしめるために、同じ名の同信会館を彼らの地にも建てることを誓約した。そのため大修道院長から下されたマントと付属品一式が、彼らに同信会館の名の下に贈呈された。我らが守護聖人の栄光がありますように。アーメン。1585年。》

文面のカリタ大同信会館は、現在アッカデーミア美術館となっている場所である。カリタの教会や大同信会館が廃止され、アッカデーミア美術館に衣替えされた1800年代初頭、この碑は近くの総大司教神学校の中庭に移された。それは当時神学校の司祭であったモスキーニがヴェネツィアの記念となる芸術品や歴史的遺物等を収集保存し始めていた時期でもあったからだそうである。

その上、松田毅一著『天正遣欧使節』(講談社学術文庫、1999年1月10日)によれば、彼らが宿泊したイエズス会の修道院宿舎は、現在の総大司教神学校の裏庭となっている場所辺りだったそうである。その老朽化した建物は1589年に大修理されたが、1606年には放棄されたと書かれている。

このセミナリオの歴史を読んでみると、かつてセミナリオ一帯には至聖トリニタ教会とその修道院があったが、ペスト鎮静化に感謝してサルーテ教会が建設されることになり(1630年)、そのためにこの老朽化していた教会と修道院は壊されたという。この狭い土地(島)の状況から察するに、使節が淹泊したイエズス会修道院とはこの至聖トリニタ修道院だったのではないかと推察される。

彼らが1585年3月1日にリヴォルノに碇を下ろしてからイタリアの旅が始まる。彼らがローマまでに通過した都市は、ピーザ、フィレンツェ、シエーナ、ヴィテルボ、バニャーイア、カプラローラ、そして3月22日ローマ着。ローマでは待ち倦んでいたグレゴリウス13世に拝謁。直後教皇が亡くなり、コンクラーベ後シクトゥス5世が選出され、新教皇にも拝謁した。2ヶ月のローマ滞在後、イタリアを巡りながらの帰国の途に就いた。

チヴィタ・カステッラーナ、ナルニ、スポレート、モンテファルコ、フォリーニョ、アッシージ、ペルージャ、カメリーノ、トレンティーノ、マチェラータ、レカナーティ、ロレート、アンコーナ、セニガッリア、ファーノ、ペーザロ、リーミニ、チェゼーナ、フォルリ、イーモラ、ボローニャ、フェッラーラ、キオッジャそしてヴェネツィアに到着(6月26日)。

ヴェネツィアではローマ以外では一番長期の10日間逗留した。その後はパードヴァ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ、マントヴァ、クレモーナ、ローディ、ミラーノ、パヴィーア、ヴォゲーラ、トルトーナ、ノーヴィ、ガーヴィを経てジェーノヴァに到達。ここから船でスペインに向かった(1585年8月8日)。」 ――《天正遣欧少年使節》(9)に続く
  1. 2013/11/23(土) 00:03:27|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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