イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ホテル・バウアー・グリュンバルト他

バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館を過ぎると、右にサン・モイゼ(S.Moise`)運河があり、その右には一角に女人像のある庭が大運河に面しています。女人像は《イタリア》という名で1900年代初頭にカルロ・ロレンツェッティにより彫られた物。この庭を含めて19世紀建築のホテル・バウアー・グリュンバルトです。G.Lorenzetti 著『ヴェネツィアとその入江』(1926)は簡単に次のように紹介しています。
ホテル・バウアー他 ホテル・バウアー[ホテル・バウアーの庭園から見たサルーテ教会] 「1400年代の建物があった敷地に19世紀ジョヴァンニ・サルディ[上掲の写真はGiuseppe Sardi としています]によって、建物内外の増改築を含めて、ヴェネツィアのネオ・ゴシック様式で建て替えられた近代建築物。」

その右には十三殉教者通り(CL.dei Tredici Martiri)を挟んでジュスティニアーン館があります。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように述べています。

「ホテル・バウアー・グリュンバルトの建設に先立って、ジョヴァンニ・サルディによって1800年代のネオ・ゴシック様式で建てられた物。館は内部が繋がっていることを明示するような、小路をふさいだ壁で分かたれた二つの建物から成っている建物である。

1474年頃の建築であるが、建物の中心は一面窓を両側に配置した尖頭式アーチの四連窓が中央を占める。17世紀にはモロジーニの手に渡り、内部が荘重に改装された。

更に1820年頃ホテルになり、ジュゼッペ・ヴェルディ、マルセル・プルースト・テオフィール・ゴ-ティエら有名人が宿泊した。市の所有するところとなり、現在はヴェネツィア・ビエンナーレの事務所となっている。」

アルベルト・トーゾ・フェーイ著『大運河の秘密』(2010)の語るところによれば、19世紀この建物がホテル・エウローパになった時、宿泊客にはジュゼッペ・ヴェルディがあり、彼は自分のオペラがフェニーチェ劇場で上演中は必ずここを宿としていたそうですし、テオフィール・ゴーティエ、マルセル・プルースト、スタンダール、フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン等もここに宿泊したそうです。

また第二次世界大戦中、ここはファシスト政権に接収され、秘密警察のアジトとなり多くの政治犯が激しい拷問を受けたのだそうです。

更にリドット通り(Cl.del Ridotto)の右にヴァラレッソ・エーリッツォ館があります。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は簡単に次のように記述しています。
ホテル・モナコ他
「装飾もない簡素な建物。現在はホテル・モーナコである。リドット・グランデの庭があった敷地に19世紀に建てられた。Ridotto Grande とは、1638~1774年間続いた公共の賭博場のことである。」

アルベルト・トーゾ・フェーイは『大運河の秘密』(2010)の中でヴェネツィア人の賭博熱について書いています。
「古くは、賭博が許容されていたのは、サン・マルコ小広場の2本の円柱の間でだけであった。いずれにしても何世紀もの間に色々の禁令が発せられた。

1254年: サン・マルコ寺院入口柱廊やファサード下のアーケイドでの賭博禁止。その後には、総督宮殿中庭や大評議会議場周辺での禁止。
1266年: 総督宮殿内では、総督従者全員の賭博の禁止。
1292年: 唯一許された遊びはチェスと二人でする西洋双六(バックギャモン)であった。全ての非合法の行為には25リラという罰金が科せられた。
1506~39年: 十人委員会は、excepto schachi, arco, balestra et ballo(チェス、弓、石弓、舞踊以外)あらゆる遊びを禁ずる。
1600年代初頭: 政府は賭け事の蔓延を黙過出来ず、カーニヴァル中に限り[10月からMartedi` grasso(カーニヴァル最終日)まで]許すことにした。
1638年: 貴族マルコ・ダンドロがヴァラレッソ通り(Cl.Valaresso)に公共の賭場 Ridotto Grande を開くことの認可を得た。《Ridotto(休憩場)》という言葉はこの種の建物の内部のしっくい装飾と共に在り、何年か前まで劇場で使用されていた。
『ヴェネツィアのリドット』[ピエートロ・ロンギ画『ヴェネツィアのリドット』(ca.1750)。ウィキペディアから借用] ここ Ridotto Grande にはジャーコモ・カザノーヴァが居たことがある。デンマーク王フレデリク(Federico)4世は、1708年当地滞在中――他の賭博者同様にマスクを被って――ある貴族から莫大な額の賭金を勝ったと言われている。正に大物のような態度で、しかし無様な振りで立ち上がろうとして王は、記録紙や賭け金などの載ったテーブルをぶちまけてしまった。そんな事をすれば全ては banco(胴親)の手に帰すことになる。」――『大運河の秘密』(2010)より             
  1. 2014/02/19(水) 00:03:03|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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