イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのリヒャルト・ヴァーグナー(1)

Aldo Bova『Venezia――I luoghi della musica』(Scuola di Musica Antica Venezia、1995)を通読すると、ヴァーグナーがヴェネツィアの場所や施設に残した痕跡をあちこちに見ることが出来ます。それらを拾い集めてみることにしました。何しろ彼は、イタリアを9度旅し、その内6度はこの地を訪れ(9度という数え方もあるようです)、最後はこの地で客死したのですから。
ヴェネツィアの音楽● 総督宮殿(Palazzo Ducale): 1858~83年の間のヴェネツィア滞在中、この建物のポルティコ下(broglio)にある石のベンチ、それも一番布告門(Porta della Carta)寄りのベンチに来て座るのが好きだった。彼はそこに座っているところを肖像画に描いて欲しいと思っていた。「私はヴォージュ山(Vosgi)上のハーゲン(Hagen――『神々の黄昏』、ギービヒ族グンターとグートルーネの異父弟)であった。」

● サン・マルコ広場(Piazza S.Marco): オーストリア帝国の支配下にあった時代、オーストリア海軍とハンガリー連隊の軍楽隊が毎晩のようにサン・マルコ広場で演奏していた。1858年のある夕べ、カッフェ・ラヴェーナ(caffè Lavena)に腰を下ろしていたヴァーグナーに敬意を表して、二つの楽隊は彼の『序曲』を幾つか演奏した。

ヴェネツィア人はそれに対して拍手を全然しなかった(ヴァーグナーはそのことに驚き、失望したのだった)。しかしそれはヴァーグナーの音楽を評価しなかったからではなく、支配者オーストリア人に拍手したくなかったからだった。

彼はサン・マルコ広場にしょっちゅう来ていた。カッフェ・ラヴェーナの主人と友達だった(1階にヴァーグナー一家がいつも座っていた場所を示す掲示板が掛けられている)。彼はよくビヤホール“Dreher”に行ったものだった。

● サンタ・マリーア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会(chiesa di S.Maria Gloriosa dei Frari[=伊語Frati/Fratelli]): 1861年11月、ティツィアーノの『Assunta(被昇天の聖母マリア)』(当時はアッカデーミア美術館に置かれていた)に大変感動したヴァーグナーは「とても崇高な、美学的感動を覚えた……『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を作曲することを決めた。」と。

1862年4月、その絵を再度見たいと思った。「音楽の中には、これほど完成したものは存在しない。“微に入り細を穿つ表現だ”としても《蝙蝠》を思い出させるだけだった。」

● フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice): 1874年ヴァーグナー・オペラの初演は『リエンツィ』だった。
1882年12月24日、アポッリネーア・ホールで妻コージマの誕生日お祝いの私的コンサートを開いた。彼自身が若かりし時のシンフォニー作品を指揮した(オーケストラの団員に言った。「古い作品なんだ……この中には新しい要素は何もないよ。斬新なものを希望するなら、ベートーヴェンかハイドンのシンフォニーを取り上げた方がいい。」)。それから友人のジュゼッペ・コンティーン・ディ・カステルセルピオの『序曲』も指揮した。

ティー・タイムの後、招待客に別れを告げる時には、ロッスィーニの『セビリアの理髪師(Barbiere di Siviglia)』の《さようなら、みなさん(Buona Sera, miei signori)》をピアノ弾奏した。コンサートには、ヴァーグナーのざっくばらんな要求に応えてフランツ・リストも参加した。「あなたには可愛い娘でしょ、ですからピアノに向かって、何か弾いてやって下さい。」

● バドエール=ティエーポロ館(Palazzo Badoer-Tiepolo): この館は1800年代ホテル・エウローパに変わったが、ヴァーグナーは1876年9月、また1882年4月と9月滞在した。

● ベルナルド=ダンドロ館(Palazzo Bernardo-Dandolo): 1822年この館はホテル(現ホテル・ダニエーリ)に変わった。ヴァーグナーは1858年8月、1861年11月、1880年10月宿泊した。

● コンタリーニ・ファザーン館(Palazzo Contarini Fasan): この館は昔からデズデーモナの家とされている。ヴァーグナーは1882年4月18日ここを訪れた。館の所有者がユダヤ人であることに驚いて、彼は不寛容な反ユダヤ主義者だったので斯く言った。「本当の生活などというものなんてある筈がない、幻想だ。金欲しさと見せ掛けの喜びでしかない!」と。 ―→(2)に続く
  1. 2014/03/12(水) 00:02:38|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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