イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのリヒャルト・ヴァーグナー(2)

● コンタリーニ・ダッレ・フィグーレ館(Palazzo Contarini dalle(delleとも) Figure): 1880年10月、ヴァーグナーはここに滞在した。豪華な調度品類に囲まれて『パルジファル(Parsifal)』の作曲を続けた。夜、偶には Joseph Rubinstein(露人、リストの弟子)のピアノ伴奏で、アリアを幾つか友人を前に歌ったものである(コージマは書いている。「彼の声は驚くほど澄んでいた。《トリスタンはどこへ行くのか(Wohin Tristan geht)》を歌った時には、私の心は千々に引き裂かれるほどであった。」)。あるいはまた、彼自身がベートーヴェンの曲を幾つか弾いた。
ヴェネツィアの音楽● ジュスティニアーン=ブランドリーン館(P.Giustinian-Brandolin――ドルソドゥーロ区ジュスティニアーン通り): 1858年8月30日~1859年3月24日までヴァーグナーは滞在した。「広い寝室に隣接する素晴らしいサロンを私は借りた。そこに鞄を持って来させて、8月30日のその夜、私は自分に言った、今やヴェネツィアに住んでいる。」

一冬まるまる過ごしたが、「そのアパルトマンは薄暗く、寒々としたものだった。」(2階の下の中2階を彼は借りたのだった)。そこでしょっちゅうストーブと悪戦苦闘しながら、『トリスタンとイゾルデ(Tristan e Isotta)』の第2幕を作曲した。そして『パルジファル』の作曲に取り掛かった。夜にはしばしば、音楽家の友人達に作曲したばかりの箇所を聞かせたものである。

● マリピエーロ館(P.Malipiero――サン・マルコ区マリピエーロ大通り): 1882年ヴァーグナーは家族同伴で、友人のシュライニツ一家に会いに来たものである。時にはピアノを演奏したり、自分の作品のアリアを歌ったりした。

● 造船所(Arsenale): 1882年4月24日ヴァーグナーは、門前に置かれた4頭のライオン像の一つに魅了された[それはギリシアの古代都市ピレウス(Pireo)から持って来られた一番大きな物]。コージマに言った。「このライオンは僕のヴォータン(Wotan――『ニーベルングの指環』の神々の支配者)だ。」

● パパドーポリ公園(Giardini Papadopoli): ヴァーグナーはヴェネツィア滞在時、ここに家族と共によく散歩に来たものだった。《鸚鵡(おうむ)と花壇》が好きだった。

● サン・ミケーレ島(Isola di S.Michele): 1883年の灰の水曜日[カーニヴァル最終日の翌日、四旬節の最初の日。この日は司祭が信者の額に改悛の印として灰を付ける習慣があるという]に、ヴァーグナーは自分のゴンドリエーレにこの墓の島に連れて行ってくれるように頼んだ。そしてここに来て気分が悪くなった。直ぐに彼はサン・ミケーレの小さな教会に連れて行かれ、神父達に介抱された。

● リアルト橋(Ponte di Rialto): ヴァーグナーはリアルト橋を渡る時は、脇の階段を通ることにしていた。というのは肉屋の店頭にぶら下げられた肉が不気味だったからだった。[階段が3筋あり、真ん中の階段を挟んで商店が2列向き合っていますが、現在は土産物屋しか開いていないこの橋に、当時はそうした肉屋さんもあったようです。]

● サン・マルコ大同信会館(Scuola Grande di S.Marco): 1876年9月25日ヴァーグナー一家はこの病院を訪れた。そしてこんなにも美しいホールに病人達が診察にやって来ることに心を打たれた。[メンディカンティ養育院の音楽活動は、既に1世紀も前に終了しており、当時は本当の病院(現在、市立病院)となっていました。]

● サンタ・ルチーア鉄道駅(Stazione-Ferroviaria S.Lucia): 1883年2月16日、ジュゼッペ・コンティーン・ディ・カステルセプーリオはヴァーグナーの眠る棺にドイツ語によるスピーチで弔辞を述べた。その棺は特別列車でドイツに送られるのである。透明なガラスの蓋を被せられた棺の中に収められた遺体は、月桂冠と棕櫚の葉で飾られたヴァポレットで運ばれて来た。黒い喪装で飾られたゴンドラが沢山付き従った。 ――アルド・ボーヴァ『ヴェネツィア―音楽する地』(Scuola di Musica Antica Venezia、1995)より
葬儀用ゴンドラ[H.C.R.Landon e J.J.Norwich 著『VENEZIA――Cinque secoli di musica』(Rizzoli)やアリス・ソコロフ著『コージマ・ワーグナー』(猿田悳・森住衛訳、音楽之友社)はヴァーグナーの遺体は写真のようなゴンドラで鉄道駅まで運ばれた、としています。]
  1. 2014/03/19(水) 00:01:15|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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