イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ハリーズ・バー、小麦倉庫、王の庭園、造幣所

Hotel Monaco を通り過ぎると、Vallaresso 通りを挟んで角にジュゼッペ・チプリアーノが開いた《ハリーズ・バー》があります。作家ヘミングウェイ等に愛された、所謂この《バール》については、息子のアッリーゴ・チプリアーノ氏が書いた『ハリーズ・バー』(安西水丸訳、にじゅうに社、1999年2月22日)によってよく知ることが出来ます。一読すればカルパッチョ料理誕生の秘密等も分明になります。
ハリーズ・バー他《ハリ-ズ・バー》は、ヴァポレット停留所の真裏の角です。その右に《港湾監督事務所》が一部見えています。その右隣には旧《小麦粉倉庫(Fondaco/Fontegheto della Farina)》――現《港湾監督事務所(Capitaneria di porto)》があります。E.&W.エレオドーリ『大運河』(1993)は次のような事を語っています。

「15世紀末のロンバルディーア風の建物で、1階に広々とした開廊を持っているが、現在は鎖されてしまっている。古い食糧行政官の所在地だった。現在は港湾監督事務所が置かれている。

“Signori della farina(食糧役人)”には非常に重要な責務があった。彼らはどんな事をしてでも基本的な糧食確保を貫徹する義務があった。飢饉のような時には度々本土側に赴いての、それは大変厳しい仕事を迫られた。

行政官事務所にはリボンで吊り下げられた羊皮紙の書付が目立つようにぶら下げられて、次のように読むことが出来た。《神かけて私は誓う。……我が職務には友も敵もない。ヴェネツィアに小麦・穀類を運び込む手段は必ずや見出す、必要としているヴェネツィアに送付させるために文書や報酬で選ばれた代理人達に無理強いもする。》

そして、そうした誓いに忠実であることを示し、幾度となくきっちりと実行されたのである。全ヨーロッパの飢饉が猖獗を極め、飢えに喘いでいた時、ヴェネツィアでは小麦不足という事態になることは皆無だった。施政官達は食糧調達のためには、海賊行為にまで及んだのである!

ここに隣接してあった古い食糧倉庫[現在の王の庭園の敷地に穀物倉庫が4棟建っていた]は、ナポレオン支配時代に庭園にするために破壊された[ナポレオンはヴェネツィア支配の執務室を新プロクラティーア館に設け、その窓からのサン・マルコ湾への展望を得るために、邪魔な4棟の倉庫を壊させた]。1756年からアッカデーミア美術研究所[校長G.B.Tiepolo]が置かれたが、1807年カリタ教会・大同信会館・修道院跡に移された[現在はザッテレのインクラービリ養育院跡に移動]。……」

《小麦粉倉庫》の右はジャルディネッティ運河(rio dei Giardinetti)を挟んで、運河脇に一階建の小さな、観光局のインフォーメイション(Coffee House)があります。そして広い《王の庭園(Giardini Reali)》となります。この庭園の歴史については2013.02.23日の飢饉(2)をご覧下さい。

《王の庭園》を過ぎるとサンソヴィーノ建築によるヴェネツィア共和国の《造幣局(Zecca)》です。E.&W.エレオドーリ『大運河』(1993)は次のように述べています。
王の庭園、右「ヤーコポ・サンソヴィーノにより1537年から建設が始まった。浮き出し飾りのある切り石の広い開廊を持つこの端正な建物は、元々は1階建ての予定だった。窓のアーキトレーヴとドーリア風の半柱身には大きな切り石風のコブ飾りを付けて各セクションを際立たせている。

しかし1558~66年にはイオニア様式の3階が追加された。内部の大きな中庭側には現在は明り取りの天窓以外はなく、隣り合う国立マルチャーナ図書館の読書室の明り取りの役である。

ここで1284年からヴェネツィアで最も著名な貨幣、金のドゥカート貨とゼッキーノ貨が鋳造され、全商業世界で受け入れられた。」
  1. 2014/03/26(水) 00:01:35|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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