イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: サンタ・ルチーア鉄道駅

大運河の左岸(De Citra=こちら側)をサンタ・ルチーア駅舎から下って行きます。鉄道駅とそれが立つ、以前のサンタ・ルチーア教会等についてイタリアの本やPCサイト等を読んでみました。
サンタ・ルチーア駅眼病や視覚障害者らの守護聖人とされる、シラクーザで生まれ、304年殉教した聖女ルキア(羅典語式、伊語式ルチア)の亡骸は、800年代シラクーザがイスラム教徒の手に落ちた時、難を逃れむとビザンティンのある将軍によって秘かにコンスタンティノープルに運ばれました。

1203年の第4次十字軍遠征により、総督エンリーコ・ダンドロの率いるヴェネツィア軍は芸術品等の財宝や聖遺物、また十字軍の略奪品の半分までも獲得しましたが、それらの略奪品の中に聖女ルキアの亡骸も含まれていました。

1204年ヴェネツィアに持ち帰られた聖女の亡骸は、最初サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の修道院に収められました。当時既に、聖女ルキアへの信仰は確定していたと言います。そして毎年12月13日、彼女に祈りを捧げるために沢山の信者がジュデッカ運河を渡りました。
グァルディ画『サンタ・ルチーア教会』フランチェスコ・グァルディ画『Il Canal Grande con le chiese di Santa Lucia e di Santa Teresa degli Scalzi』(c.1780)
1280年信者が参詣し易いように、遺体はより便利なヴェネツィア本島に移され、1313年最終的に聖女ルキアに捧げた新教会が献堂され、遺体も安置されました。そしてそれが鉄道駅建設の時代まで続いたのです。

1846年、ヴェネツィアを支配していたハプスブルクのオーストリア・ハンガリー帝国は、軍隊の移動を考慮して鉄道用のリベルタ橋を完成させます。鉄道の建設は1860年に始まりました。1861年には駅舎が、現在の駅前広場に建っていたサンタ・ルチーア教会と修道院を取り壊して建てられました。駅名はその教会名に因みます。

教会に安置されていた聖女ルキアの遺体は、近くのサン・ジェレミーア教会に移されたことは、大運河側の教会後陣の壁面に記されています。このため教会名もサンティ・ジェレミーア・エ・ルチーア教会と変わり、聖女の遺体は北袖廊の礼拝堂に展示されているそうです[この事がナーポリ民謡『サンタ・ルチーア』がゴンドリエーレ達によって歌われる所以でしょうか]。
新しいスカルツィ橋駅舎右隣のスカルツィ教会前に、Neville とかいう人の案によりオーストリア軍はやはり軍隊の移動の便のために、鉄製の旧スカルツィ橋を架橋します(1858年――ヴェネツィア人の評判は最悪)が、イタリア王国になってからヴァポレットが就航することになり、橋桁が低過ぎ、イタリア人技師エウジェーニオ・ミオッツィ案でアーチの橋に架橋し直されました(1932~34)。

現在の駅舎は、建築家アンジェロ・マッツォーニの1924年のプロジェクトに始まります。彼は最終案に至るまでに10年以上の歳月を要したと言います。

1934年には貨物駅建設等のためのコンペが発表され、建築家ヴィルジーリオ・ヴァロットの案が採用され、1936年まで工事は保留されていましたが、その年マッツォーニとヴァロットの二人の協力で、旅客舎を建設することが決められました。

そして1943年まで建設が続きます。建物の改築は一部マッツォーニの手に寄ります。改築が最終的に終わるのは第2次世界大戦後のことで、建築家パーオロ・ペリッリのプロジェクトによるものでした(~1952年まで)。結果的に1861年の最初の物より大分幅の拡がった建物に改築されたことになったようです。
サンタ・ルチーア駅の店サンタ・ルチーア駅に出来た店2009年11月から、有機的な人や物の流れやより有効な空間利用を期して、建築上の補修や修復を含めて改築が始まり、現在では駅構内に新しく商業施設が導入されました(商店の写真は2014年のもの)。
  1. 2014/04/09(水) 00:04:19|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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