イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: スカルツィ教会

鉄道駅から下ると、右はスカルツィ(洗足派修道士)教会です。この教会は Santa Maria di Nazareth o degli Scalzi 教会とも呼ばれ、バルダッサーレ・ロンゲーナの設計により、1654年から建造が始まったバロック様式の、身廊が一つの教会です。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のような事を述べています。
スカルツィ教会他「……ファサードは Giuseppe Sardi により1672~78年完成されたが、彼は上下2層に渡る対の2本柱とベルナルド・ファルコーネ作による壁龕に収めた彫刻による華やかな装飾でファサードに活気を与えた。

穹窿にはジャンバッティスタ・ティエーポロ画のフレスコ画があったが、1915年10月28日のオーストリア軍の砲撃で破壊されてしまった。

洗足派修道僧はヴェネツィアには1633年到来し、カルメリターニ(Carmelitani)修道僧と呼称された。ファサードはジローラモ・ガヴァッツァの寄進による。ヴェネツィア共和国最後の総督ロドヴィーコ・マニーンはここに葬られ、その墓石の平坦な表面に簡単に Cineres Manini(マニーンの遺灰)と書かれている。」

スカルツィ教会の右に登場するのはスカルツィ橋です。この橋については2010.04.17日のアッカデーミア橋や2011.08.20日ヴェネツィアの橋に書きましたように、1934年にエウジェーニオ・ミオッツィにより、大運河にヴァポレットが就航することになりオーストリア人が1858年に架けた鉄の橋では橋桁が低過ぎ、通行不能のためアーチの橋に造り替えられたものです。
新しいスカルツィ橋オーストリア人は、占領しているヴェネツィア内での軍隊の移動の便のために鉄製の橋を架設したのですが、この橋は見苦しい橋としてイタリア人には悪評だったそうです。今でも残る小運河等に架かるオーストリア・デザインによる鉄製の橋など、ヴェネツィア人は良く言いません。日本人にはどれがどれやら分かりませんが。
  1. 2014/04/23(水) 00:02:36|
  2. ヴェネツィアの教会
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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