イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ソランツォ・カルボ・クロッタ館(1)

スカルツィ橋の次に大運河に顔を覗かせているのは、ソランツォ・カルボ・クロッタ(Soranzo Calbo Crotta)館です。E.&W.エレオドーリ著 『大運河』(1993)の説明に耳を傾けます。
ソランツォ・カルボ・クロッタ館など「ビザンティンからもたらされたコンポジット(イオニア式とコリント式の混合様式)・スタイルの大きな建物で、14世紀後半から15世紀初めにかけて改築の手が加えられ、その後にも拡張された。ゴシック、ルネサンス、バロックの要素も保有する。

この建物はソランツォ家が建てたものだが、今日この家族の男の系統は消滅してしまった。747年から大評議会に顔を出す古い家系に属していた。彼らも大商人貴族であり、1338年には既に、他の貴族達と支那に到達し、そこからインドのデリーに向かったことが知られている。

ジョヴァンニは1312年総督に選ばれ、共和国で最も著名な人物の一人であり、1328年には88歳で人々に悲しまれつつ世を去った。その人生は生易しいものではなく、政治的・軍事的問題に直面した時に示した手腕とヴァイタリティとはなまじっかなものではなかった。

総督職に就いた時、教会に関わる確執という重大な局面を受け継いだ。それは1308年、教皇庁に嫌われたフェッラーラのエステ家のある一人に味方したためにヴェネツィアは破門されていたのだった。
『ヴェネツィア』本文[当時の状況を語るクリストファー・ヒバート著『ヴェネツィア』(横山徳爾訳、原書房)より] この当時の破門はヴェネツィアにとって、カトリックの世界で得ていたもの、建造物、財産、人材といった全てを失うことを意味した。例えばジェーノヴァでは、多くのヴェネツィア人が殺され、奴隷にされた。それは元老院が脱出口を探せど見つからない袋小路だった。1324年ジョヴァンニ・ソランツォは教皇庁との深刻で容易ならぬ関係を解決することが出来たのだが、それは金貨を積んで和解を勝ち取るという手段だった。

更にジェーノヴァとの商業上の争いにも直面していた。またダルマツィアの平定と1327年カンディア(クレタ島のイラクリオン)で起きた謀反(この島に越したヴェニエール家の分家の者達も加わっていた)の鎮圧に向かわねばならなかった。

家庭でも厳しい生活を迫られた。即ち娘のソランツァは、Zoppo(びっこ)と呼ばれたニコロ・クェリーニに婚し、彼が1310年のバイアモンテ・ティエーポロの失敗に帰した謀反に荷担したために、一緒に追放刑に処されていたが、父親が総督に選出されたと知るや、刑の免除を期待して、共和国政府の許可を得ずしてヴェネツィアに戻った。

しかし十人委員会の審判は、彼女の夫の死まで修道院に彼女を閉じ込めるというものであった。その瞬時の間だけ、彼女は先祖伝来の館で、母親との水入らずの生活を共にすることが出来た。総督と言えども、刑の軽減のためにその判決に介入することは出来なかったのである。

歴史家ヴィッラーニは、一つのエピソードについて語っている。1321年ダンテ・アリギエーリは死の少し前、外交官としてヴェネツィアを訪れ、《漁の季節に総督から正餐に招かれた》。その会の前、魚を重要な食料として口に上していた使節達がおり、彼らの皿には大きな魚が載っていたが、ダンテのところには小さな魚しか来なかった。
中世イタリア商人の世界[このジョヴァンニ・ヴィッラーニの年代記について、清水廣一郎著『中世イタリア商人の世界』(平凡社)が詳しく記述しています。フィレンツェに行く人の参考書です。]
彼は一尾の魚を摑み、耳の所へ持っていった。その時総督がそれはどんな意味なのか、と問うた。ダンテ答えて曰く。「私の父は海で死んだので、父についての情報を魚達に訊いたんです」。《総督が尋ねた。「それはまた……!、で何と言ってました?」。詩人応えて曰く。「父と父の仲間達は若過ぎて、何も分かっちゃいなかったのです。でもここにお出でのお歴々、輝かしきお偉方や古老がお出でですが、その方々は素晴らしい情報を私に下さることが出来るぞ、と言ってました」。

総督は笑って、もっと大きな魚を彼の所に持って来させた。 ……」(続く)
  1. 2014/05/07(水) 00:06:53|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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