イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ダンテ、と造船所(アルセナーレ)

16世紀初め元老院によって《ヴェネツィアの心臓部》と位置付けられた、カステッロ地区のアルセナーレ(Arsenale 造船所――ヴェネツィア語 Arsenal/Arzana)は、現在は海軍の所有地であるため、入ることは出来ません。
アルセナーレ(造船所)門前の獅子像[造船所門前のライオン等の彫刻群] 私は90年代半ば頃、サン・マルコ湾(Bacino S.Marco)からアルセナーレ運河(Rio de l'Arsenal)を通過し、水門の2基の塔の間を抜け、ドック(Darsena Vecchia)を通り抜けてムラーノ島(Isola di Murano)へ行くヴァポレットの1便に乗船し、内部を船から見たことがありました。

また最近、夏に行われる演劇祭で、有料無料の演劇やパフォーマンスが内部の広場や建物内で催され、《火のパフォーマンス》というイヴェントを見に入場したこともありました。

西側のゴルネ(le Gorne)運河に面したゴルネ運河通りから、東のターナ(la Tana)運河に沿ったターナ運河通りまで、アルセナーレの南のぐるりを歩いたり、ヴェネツィア周回便の41・42番(かつてアルセナーレを通り抜けていた5番がこの41・42番に変更されたようです)のヴァポレットでヴェネツィアの北側から眺めても分かることですが、要塞化された高い壁で囲われており、かつてこの壁を越えて進入した者には死罪が待ち受けていたそうです。

造船の工程は分業化され、細分されて専門化され、オートメ的作業で船が組み立てられ、1570年にトルコ軍が当時ヴェネツィア領であったキプロス(Cipro)島に攻撃を仕掛けた時には、軍船の建造に要した時間は武装化も含めて、2ヶ月で100隻のガレー船を完成させたというスピードだったと言います。

工員達(アルセナロッティ arsenalotti)の秀でた技術や道具類と、生産される各部品等の正確さはもとより、当時のヨーロッパの中では随一と言われた、格段に優れた流れ作業システムで運営された工場だったようです。

その事が大詩人ダンテの目にとって括目に値することだったのでしょう、彼は『神曲 』の中でアルセナーレのことを歌っています。『神曲』というと何か難しく、近寄り難い感じですが、原題は《神聖な喜劇 Divina Commedia》の意です。《地獄篇》は中世の噂話満載で面白く読んだ記憶があります。本来《Comedia》(ダンテの表記)の題だったものが、1555年にヴェネツィアで『Divina Commedia』の表題で出版されて以来、この題名が踏襲されているのだそうです。[『神曲』という呼称は森鷗外が訳したアンデルセンの『卽興詩人』の中でこの題名を使って以来だそうです。]
ギュスターヴ・ドレの版画ダンテ[左、ギュスターヴ・ドレ画『地獄篇』第3歌挿図。右、ダンテ像、ウィキペディアから借用]
『筑摩世界文学大系11巻』(野上素一訳、筑摩書房、昭和48年11月15日刊)――『神曲』《地獄篇第21歌》より
「……
ちょうど冬になるとヴィニツィアの造船所で
破損した彼らの船を塗りかえるため
あのねばった瀝青を煮るときのように、
(その時期には航海ができないかわりに
あるものは新しく船を造り、あるものは
いくたびも航海した船の側面に麻屑をつめこみ、
あるものは舳(へさき)をうち、あるものは艫(とも)をうち、
あるものは櫂(かい)を作り、あるものは綱をより、
あるものは大小の帆につぎをあてるのである)
下のほうには火力でなく神の技によって
濃い瀝青が煮え沸(たぎ)っており
岸の一面にねばりついていた。
私は瀝青へ目をそそいだが、その中に沸(たぎ)りつつ
浮きあがる泡のほかはなにも見えず、
瀝青は一面にふくれあがっては潰れて下へ落ちていた。
私が下のほうばかり目をこらして眺めていると、
私の案内者は「気をつけろ、気をつけろ」といって
立っている場所から私を自分のほうへ引きよせた。
そこで私は見ただけでぞっとして逃げ出したくなり、
恐怖のために急に全身の力が抜けそうになるのを
見たがるくせに、見ている間も逃げる足を
とめない人のように、ふりむいて見ると、
私たちの背後から一人の悪魔が
岩礁を渡って走ってくるのが目にとまった。  ……」
  1. 2008/06/06(金) 20:59:51|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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