イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ソランツォ・カルボ・クロッタ館(3)

E.&W.エレオドーリ著i『大運河』(1993)の説明は更に続きます。

「……クロッタ家は1700年代の初め、ソランツォ家からこの家を購入したのだが、1649年、10万ドゥカートの政府要求に応じて、“お金”で貴族になった一族であった。ミラーノ出身で、ベッルーノの分家のやり方で巨大な利益を上げていた。

貴族を認められて数年後、ジュゼッペは兄弟のアントーニオ殺害の罪で刑を申し渡されたが、罰に服するつもりはなく、既にして逃亡していた。しかし彼の全財産は、殺人者の家族のために押収されたのだった。

ジョヴァンニはその事に別段驚きもしなかった。ある夜、兄弟の妻が田舎の家に行った時を捕え、配下の者に後を追わせた。そして女の部屋に闖入し、連れてきていた金で雇った公証人の前で、全財産の返却の署名を脅して強要した。しかしヴェネツィアはこの事を認めず、ジュゼッペを永久追放にした。

カルボ家は891年にヴェネツィアに到来した。そして共和国に著名な軍人を提供したのである。ジョヴァンニ・マルコとかいう人物は1727年に亡くなったのだが、ルクレーツィア・クロッタと結婚し、母方の伯父の遺言書の規定によりこの館を遺され、自分の姓にクロッタ姓を付け加えることになった。

この館のために、ティエーポロが大キャンバス画を描いた。それは、現在フランクフルト美術館に収蔵されている。カルボ・クロッタ家の者を聖人達に描いた物である。」
ホテル・プリンチペ等20世紀住宅など更に右へ行くと、ホテル・プリンチペの建物群があり、更にその右に rio tera` Sabbioni の小広場がありますが、この辺りにモロジーニ・デッラ・トレッサという館があり、19世紀に崩れ落ちたそうです。その館跡にホテル・プリンチペの建物が出来たのでしょうか。
幾つかの建物は端折って、次回はフランジーニ館です。
  1. 2014/05/21(水) 00:06:13|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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