イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――テオフィール・ゴーティエ(2)

テオフィール・ゴーティエ詩集『七宝と螺鈿(E'maux et came'es)』。下掲図はフランス・ウィキペディアより借用
Émaux_et_camées「 ヴェネチアの謝肉祭  変奏曲
  Ⅲ 謝肉祭
ヴェネチア、舞踏の衣裳をまとふ。
身にパイエットをきららに飾り、
きらめき、ひしめき、さんざめく、
(あや)なす色の謝肉祭。

仮面で黒ん坊、多彩な服で
蛇そっくりな、アルルカン、
いじめ相手のカッサンドルを
奇妙な音符でポカリと殴る。

(いはほ)の上のペンギン鳥か、
袖を振りふり羽搏(はばた)いて、
白いピエロが、二分音符から
顔さし出して片目をぱちくり。

ボロニア博士はくどくどと
物憂い音色の低音(バス)で繰言(くりごと)
ポリシネールは御機嫌斜め、
八分音符を鼻と勘(かん)ぐる。

滅茶(めちゃ)な顫音(トリル)で洟(はな)をかむ
トリーヴランと突きあたり、
スカラムッシュはコロンビーヌに
扇をかへし、手袋わたす。

拍子につれて抜き足差し足
ドミノの女、露(あらは)なものは
黒い繻子(サテン)の眼瞼(まぶた)のかげの
意地悪さうな流眄(ながしめ)ばかり。

ああ、清らかな息吹(いぶき)を受けて
ひらひらと舞ふ薄紗(レース)の垂れ紐
あのアルペジオが『彼女だ!』といふ、
網こそかぶれ、まさしく然り。

張子(はりこ)の醜い横顔のかげ、
忘れもしない、薔薇いろ清(さや)かな、
桃のうぶ毛の、あの脣(くちびる)と、
あごにタフタのつけぼくろ。

  Ⅳ 感傷的な月の光
サン・マルコからリドーにかけて
どよめきわたる哄笑(わらひ)をつらぬき、
快速調に昂(たか)まる音階、
月光(つきかげ)あびる噴水(ふきあげ)のやう。

道化(おどけ)た調子でさんざめいては
風に鈴ふる曲(しらべ)にまじり、
頸絞められる山鳩に似て、
折ふし、未練の、啜り泣くこゑ。

遠くの、ざわめく靄のなかに、
殆んど消えた夢のやう、
色はうすれてまだ悲しげに、
古いむかしの恋が、浮んだ。

涙さしぐみ想ひ出すのは、
森のすみれの初花を
探しもとめて、草の葉かげに
ふたりが指を混えた、四月。……

アルモニカのやう顫へをののく
あのヴィオロンのE線の音、
あれは細音(ほそね)の、稚(いとけな)いこゑ、
わたしを射抜いた白銀(しろがね)の矢だ。

音色がいたく調子外れで、
優しく、皮肉、甘くて、残酷、
冷たく、しかも、熱烈なので、
聴けば、死ぬほど快く、

円天井から水盤に
雫が落ちて泣くやうに、
心の臓から血潮の涙が
滴、一滴と、胸にしたたる。

陽気でしかもメランコリックで、
笑ひが涙と呼び交す
ああ、謝肉祭の古い主題(テーマ)よ、
その魅力から、深創(ふかで)を受けた。 ……  」
 ――テオフィル・ゴーチエ『七宝とカメオ』(齋藤磯雄訳、『世界名詩集 12巻』平凡社、昭和四十三年五月二十五日)より
  1. 2014/07/17(木) 00:04:54|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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