イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――マリナ・ヴラディ

マリナ・ヴラディ(1938.05.10クリシー(仏国、オー=ド=セーヌ県)~ )と言えば、私にとってはアンドレ・カイヤット監督の仏映画『洪水の前』(Avant Le Déluge、1955)で日本御目見えが鮮烈な記憶として残っています。伊映画の記憶では逆に映画が落ち目になった時代、私の大好きな監督エットレ・スコーラの、マルチェッロ・マストロイアンニと共演した映画『Splendore(スプレンドール)』(1989)が今でも脳裏に焼き付いています。日本映画『おろしや国酔夢譚』(佐藤純彌監督、1992)で日本映画にも出演していることを、今回改めて知りました。
[初めてヴェネツィアに行った10年以上前、アッカデーミア美術館の傍に映画館がありましたが、現在はありません。現在チネマとしては、サンティ・アポーストリ広場北のジョルジョーネ劇場が思い出されます。]

その彼女が、ヴェネツィアを舞台にした小説を書いています。題してMarina Vlady『Le collectionneur de Venise(ヴェネツィアのコレクター)』(Editions Fayard、1990.05.)です。それ以前にも『Vladimir ou le vol arre^té)』(Fayard、1987.)とか『Récits pour Militza』(Fayard、1989.)といった小説をものにしているそうです。当然その後の作品もあるのでしょう。
Le collectionneur de Veniseこの物語は、次のような冒頭部分で始まります。冒頭部分を訳して見ます。
「アンジェロは、アート紙の写真を顔に被せると、掌で押し付けるようにして、唇、卵形の顔の輪郭、それから首筋や肩にまで触っていった。直に膚に触れると、湿った皮膚が指に抵抗を感じさせ、滑らかには動かない。彼を不快にするそのかすかなキシムような音(呼吸音、痙攣するような、吸い込むような音)のギスギスした抵抗感覚は、彼をいつも不快にしていたものだった。

当時彼には、同い年の友人達が近所の娘達を口説くのは、極当たり前の事をやっているに過ぎないと思われた。

苛立って彼は、その写真を向こうに押しやった。足をテーブル下の支えの横木の上に載せ、椅子の上で伸びをすると、勃起した物が直ぐ様縮こまるのが分かり、味気なく思った。

そんなに前のことではない、まだ思春期の頃、近くの映画館のスクリーンに映し出された、ボッテリと赤い唇をした、とても白い顔の女を見た時、下腹に一撃を受けた。彼には絵姿は思い浮かばないが、飛び跳ねる発条(ばね)を見たのだと思った。だから生身の女には欲望は湧かない、とぼんやり感じていた。子供の時、ある《遊び》をしながら、嘔吐しそうになったことがある。

彼が最初に欲望を目覚めさせたのは、貪るような口が歯に当たっていらいらしながら、その若い女中の腋の下の強い臭い、特に手で女の股ぐらを荒々しく触りながら感じた欲望だった。飢えの満たし方を知らない、襞々を沢山持った動物のように、それは何か輝かしいような、また湿り気や生き生きとしたものを持っているように感じられた。そしてその娘の高らかな笑い声が、彼を遠くまで追いかけてきて、恥ずかしさにボーっとなったのだった。

ある時――それは父の長い臨終の時のことだったが――彼を慰めようとした母の女友達に心の内を打ち明けたことがあった。本当の所、彼がやっている事を女々しいと馬鹿にして寛容ではなかった父、この雑とも言える男の早まった死を、その時彼はまるで悲しんでいなかったのだ(《さあ、準備万端整ったぞ、お芝居を始めよう》と命じたのは、舞台装置や登場人物の衣装を作ったのが息子だと勘違いした父で、アンジェロのマリオネッタ劇場のことを観客達に伝えながら、悦に入っていたのだった)。

問題のある友人のクリスティーナは、知人達にはティーナと呼ばれており、アンジェロをいつも庇ってくれていたのだが、最初大変驚いた。彼女の住むパラッツォ・コスタンツォは、新米のデザイナーの夢でもある、大自然を模した風情を持っていた。建物は二つの運河に面していた。一方は大運河に面して古い貴族的な姿を誇示し、もう一方はサンタ・マリーア小運河に向いて、偏に自分の事を姦しく喚いている気配があった。そして不義密通した後、逃げ出すのを容易にする、即ちよく知られているように、罪を犯した後の遊びの代償を容易にする、といった風の建物なのである。

全てが快適である。客間、各部屋、陰った太陽でもほの明るい廊下、和やかな色に剥げ落ちてしまった漆喰壁、高価な木材細工の幅広の木舞いを敷き詰めた床が、一歩ごとに鶯張りのような音を発する。 ……」
  1. 2014/06/25(水) 00:02:51|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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