イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

世界初のオペラ劇場

サンタ・クローチェ区東端の、リアルト橋に比較的近いストゥーア小広場(Campiello de la Stua)にアパートを借りたことがありました。
アパートと洗濯物[借りたアパートは最上階の4階。時々スーパーで日本から持参のカートで炊事・飲用の2L水をまとめ買いして来ると、上まで運ぶのは一苦労。]
この小広場脇のソットポルティコを潜ると、サン・カッスィアーノ運河(Rio de S.Cassan)沿いのストゥーア運河通り(Fondamenta de la Stua)に出ます。直ぐの乳房橋(Ponte de le Tete)で右折し、そのアニェッラ通り(Calle de l'Agnella)の最初の路地を左折すると、コンメーディア(Comedia)通りからテアートロ小広場(Corte del Teatro)に出ます。かつてこの一角に新カッスィアーノ劇場と呼ばれた、世界初のオペラ劇場があったのだそうです(アパートから5分もかからない位置でした)。
新カッスィアーノ劇場前[古新カッスィアーノ劇場前の小広場] トゥローン家によって1581年に建てられたこの木造の円形劇場は、サンタ・クローチェ区にありながら、サン・ポーロ区のサン・カッスィアーノ教会が近い所為なのか、こう呼ばれたようです。1629年焼失後、1636年石造りで再建され、1812年まで断続的に劇場として機能していたようです。

極初期は芝居小屋として使われたようですが、1637年世界で初めてオペラの商業公演が行われました。ベネデット・フェッラーリ・デッラ・ティオルバ作『アンドロメデー(L'Andromedaアンドローメダ)』にフランチェスコ・マンネッリが音楽を付けました。合唱はサン・マルコ寺院の合唱隊が歌ったのだそうですが、その一員にサン・マルコ寺院楽長のクラウディオ・モンテヴェルディの息子のフランチェスコもいたのだそうです。

ここで上演されたものには、フランチェスコ・カヴァッリの『テティスとペーレウスの結婚(Le nozze di Teti e di Peleo、1639)』(台本ペルスィアーニ)、モンテヴェルディの『オデュッセウスの祖国帰還(Il ritorno d'Ulisse in patria、1641)』(台本バドアーロ)、カヴァッリの『イアーソーン(Giasone、1649)』(台本チコニーニ)等があり、特に『イアーソーン』は大成功を収め、イタリア各地でも上演されたそうですし、17年後にはヴェネツィアで再演されたそうです(彼は初期オペラ作家として近年見直されているそうです)。

ウィーンで宮廷詩人(poeta cesareo)となった、ヴェネツィア生まれの詩人アポーストロ・ゼーノの台本が音楽化されたり、18世紀になると劇作家カルロ・ゴルドーニと、ブラーノ島生まれのためブラネッロと呼ばれたバルダッサーレ・ガルッピのコンビのコラヴォレイションが幾つか上演されたようです。
ゴルドーニ像ガルッピ像[左、リアルト橋傍のサン・バルトロメーオ小広場に立つゴルドーニ像。右、ブラーノ島ガルッピ広場(Palazzo B.Galuppi)のガルッピ像。両者共イタリアのサイトから借用] 1763年抜本的な造り直しが行われた後、ドメーニコ・チマローザやジョヴァンニ・パイジエッロの作品が上場されます。

1776年当時、帰郷して祖国の国家糺問官のスパイとして働いていたジャーコモ・カザノーヴァは、上演中桟敷席では色々な不正不倫行為が行われていると報告しているそうです。劇場は多くの娼婦達の商取引の場として利用されていたようですし、1700年代後半にもなると、幕間は宴会になるのが通常で、ただただ料理された肉や鶏肉を食べまくっていたと言います。

共和国滅亡後、1798年に最後のオペラが上演されたそうです。サン・カッスィアーノ運河を挟む隣の島のアルブリッツィ館の庭園にするため、1812年建物は壊されてしまいました。乳房橋上から見るとアルブリッツィ館と劇場跡地を結ぶ橋が1本見えるだけです。
アルブリッツィの橋[左のアルブリッツィ館とその庭園となった古新カッスィアーノ劇場とを結ぶ運河上の橋を乳房橋から] 
サン・カッスィアーノ教会の大運河側の裏側に、テアートロ・ヴェッキオ小広場(Corte del Teatro Vechio)という一角があります。ここには1580年建造の旧サン・カッスィアーノ劇場があったそうです。ミキエール家によって建てられたこの芝居小屋は、1500年代末まで存続したようですが、何かとスキャンダルが絶えなかったようです(ヴェネツィア人は芝居小屋に通うためには、大運河を泳いでも渡ったと言われるほど演劇好きだったそうです)。
  1. 2008/06/20(金) 13:23:38|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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