イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

民話に表れたヴェネツィア――ジュゼッペ・ナリーン(1)

ヴェネツィアの語学学校へ何度か通学する内、ヴェネツィア語も多少は分かりたいとちょっとだけ勉強してみました。動詞 essere が“Mi son o Mi so”“Ti ti xe”“Lu xe o L'e`”“Nu semo”“Vu se'”“Lori xe”と格変化することを知り、知ったかぶりで妻に“何時ですか?”を“Che ora xe?(ケ・オーラ・ゼ)”と教えると、夕方バーカロに立ち飲みに行き、スプリッツ・コン・ビッテルを飲んでいる時、妻がカウンターの中の青年に“ケ・オーラ・ゼ?”と問うと大いに笑われてしまいました。

金髪の外人が山形弁で滔々と喋ると嬉しくなって思わず笑ってしまう、あの現象です。そんな訳でヴェーネト(ヴェネツィア)語の参考書等を購入しました。その中に Giuseppe Nalin『Fiabe veneziane(ヴェネツィア昔語り)』(Corbo e Fiore Editori-Venezia、1995)があり、見開きでヴェネツィア語とその伊語訳が対照的にページアップされています。その中の一編を伊語訳の方から和訳してみます。題して『La fiaba dello sciocco(馬鹿息子の昔話)』です。
Fiabe veneziane「昔々、グラーナという名の女がありました。大変思慮深い女でしたので自分には不足はなかったのですが、いつも揉め事を引き起こすような愚鈍な息子を持っていました。

しかし彼女にとって息子は、他人が言うほど馬鹿だとは思えませんでした。いつも息子を庇って子を持つ親なら誰でも、我が子が言ったりしたりすることは何でも、丸で奇跡だと思ってしまうのですが、そんな思いで毎日を過ごしていました。そして息子が自分で体を洗ったり、掃除したりが出来たりすると、息子が学校を卒業したかのように嬉しくなるのでした。

グラーナは抱卵中の雌鶏を飼っていました。そして雛が大きくなったら売って、しっかり稼ごうと考えていました。

ある日彼女は大切な用が出来て出掛けなければならなくなりました。そこで息子を呼んで言いました。
《ちょっとこっちへ来て。よく聞いてね。この雌鶏はしっかり見張っていて頂戴。それで、もしかして巣から立ち上がったのが分かったら、巣に戻れるようにしてやって。そうしないと、卵を抱くのを止めて、卵も駄目になるし、雛も産まれないから》。
《まかして、母さん。よく分かったから》。この阿呆は母親に言いました。

《もう一つ言っとかなきゃ駄目なの》。しっかり者の女は息子に繰り返しました。《この箱は触らないでね。中に毒になる物が入ってるから。食べたりしたら死んじゃうから》。《神様が見張ってるから大丈夫だよ》。グァルダーテロは答えました。と言うのは、グァルダーテロ(Guardatelo―それを見張ってて下さいの意)というのは彼の名前だったからです。
《何と何と! 毒だったんだ。離れろ離れろ。気が付いてよかったよ。もしかしたら、食べちゃってたよ》。

母親が用足しに出掛けると、グァルダーテロは直ぐに菜園に急ぎ、地面に穴を掘り、いつものように腕白小僧らが走ってきて穴に落ちるように、木の枝で穴に蓋をし始めました。こうしてうまく細工をしている間に、雌鶏が卵を抱くのを止めて家の方へ歩いていくのに気が付きました。《シッ、シッ、シッ。そっちじゃないぞ》。大声を張り上げました。

しかし雌鶏は彼になど目もくれませんでした。雌鶏がそこでボンヤリしているのが分かると落とし穴作りは止め、土をドンドンと踏み固めてから、帽子を後ろに引いて枝を摑んで行きました。鶏の背を力の限り撲り付けると、一撃で即死してしまいました。

グァルダーテロはこのとんでもない結果に肝っ玉が潰れ、直ぐに起きた事を取り繕わねばと考え、自分に言いました。《卵を抱くように、何かしなくっちゃ》。ズボンを引き下げ、雌鶏の所へ腰を下ろしに行きました。

しかしあまりに勢いよくお尻を下ろしたので、卵を全部潰してしまいました。自分のへまに激しい癇癪を起しましたが、直ぐに治まりました。《もういい! 知りたくもないや。考えれば考えるほど、どうすれば元通りになるか、分かんない。お腹が空いたから、何とかしなくっちゃ。この雌鶏を焼いて食べよう》。大声で言いました。

こうして雌鶏の羽根を毟り取り、串刺しにして、直ぐに火をカンカンに燃やして炙り始めました。半分炙ったところで、躾通りにしなければと思い、テーブルにテーブル・クロスを広げ、地下のワイン庫に行ってワインを持ってくると、焼き過ぎにならないように火から串刺しを外しました。

持ってきたデカンターに半分も注ぎ入れない内に、台所で何か大変な異常が起きていると感じました。何だろう? またへまをしたのか? 何か不安になり、デカンターを置き、樽の栓を手にして、階段の方へ走って行くと、大きな太った猫が串刺しの焼けた鶏を口に咥えていました。大きな音を立てて脅すと、もう一匹の猫がそれを奪おうとしました。

自分の鶏を取り戻そうと、グァルダーテロは直ぐに猫を追い掛けました。全速力で走り、猫の前脚の間から取り上げることが出来ました。しかし樽の栓をまだ手にしていることに気付き、地下庫に行ってみるとワインがジャージャーと噴き出しており、今や辺り一面に溢れ返っています。そこで泣き始めました。《母さんが何も気が付かないなんてことはあり得ないから、懸命に片付けなきゃいけないな》。

そこで彼は何をしたのでしょうか。倉庫の片隅にあった白い小麦粉を一山持ってきました。それがワインを吸い取ってくれると考え、地下のワイン庫へ急ぐとその上に振り撒きました。少しは自分の失敗を回復出来たと思ったのですが、安心出来ず、自分の仕出かした災難に内心、次第に不安が昂じていったのです。」――(次に続く)
  1. 2014/09/11(木) 00:03:37|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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