イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

民話に表れたヴェネツィア――ジュゼッペ・ナリーン(2)

[続き]
「自分の心に言いました。《お前も少しは考えてよ。母さんが帰ってきたら、このハチャメチャ に気が付いて、カンカンに怒り出すよ、もう生きた心地もしないよ》。そこで母親が彼に毒入りの食べ物だと言っていた箱のところへ走ると、それを開けました。本当のところ、母親は全部彼が食べてしまわないように、ただ信じ込ませるためだけに言っただけのことで毒入りなどでは全くなく、その壺には探すのも難しい最良の蜂蜜が満杯だったのです。
見開き頁グァルダーテロは毒を食べて死のうと、箱から蜜壺を取り出しました。壺の中身が途轍もなく甘く美味だったので、全部を平らげました。食べ終わり、指で底まで嘗め尽くすと、竃に横たわりに行きました。

そうこうしている間に、母親が帰宅し、玄関の戸を叩きました。何度叩いても応答がありません。誰も開けないので、とうとう扉に体全体で体当たりを食らわせ、戸をへし破りました。そして息子の名を呼ぶのですが、返事がありません。何か厄介な揉め事でも起きているのではないかと更に大声で息子の名を呼びました。《グァルダーテロ、グァルダーテロ! 聞こえないの?》。

彼は母親の怒りが和らぎ、慌てふためいた感じになり、精々ぶつぶつ言うのが分かるまで黙ってじっとしていました。母親が焦れてイライラしているのが分かり、グァルダーテロは細い小さな声で言いました。《母さん、僕ここだよ、竃の中。見えないけど、安心して》。

その声を聞いて彼女はショックを覚え、《何としたこと! でもなぜ?》と叫びます。《毒を飲んだんだよ》直ぐに彼が答えます。《で、誰が毒を呉れたの、でも、どうして?》。グァルダーテロは自分が勇敢にやり通したことを母に逐一語りました。《やる事何でもみんな酷かったから、死のうと思って、母さんが箱にしまっていた物を食べて、毒で死のうと思ったんだ》。

グァルダーテロが食べた毒とはどんな物であったか聞くと、彼女はホッとして、直ぐに息子が食べた物とは毒などではなく、火を通して、よく熟成した蜜であると説明しようとしました。しかし彼はそんな事は丸で信じておらず、この病気に適した美味しい薬となる食べ物を沢山調合してくれるようにと言いました。そしてその何日か後、恢復すると竃から飛び出しました。

その後、彼の母親は彼に一反の布を渡して売ってくるように言いました。《お喋りな人に売っちゃ駄目だよ。そんな人はお前をきっと騙すからね》。《何を言ってるの、母さん。僕を馬鹿だなんて考える人なんかいないよ》とグァルダーテロは答えました。そして反物を持って町を触れ売りに回り始めました。《織物、織物、素敵な織物! 美しい織物はいかがですか?》

時々、誰かがその反物はリンネルかとか、幅は幾らかとか、長さは何ブラッチョ(1ブラッチョ≒60cm)かとか、呼び止めて尋ねました。しかしあまりお喋りで彼を混乱させるので彼はそれには応えず、人の事に関わずらうな、帰るようにと言って全員を追い払いました。お終いには《織物、織物、素敵な織物! 美しい織物はいかがですか?》と声を嗄らして叫ぶと、あまりの回遊に疲れ果て、一つの大理石像がある人気のない小広場に入り込みました。

その小広場中央にある井戸の脇に腰を下ろし、誰か反物を売れる人が通り掛からないかとじっと眼を凝らしました。暫くそこに座っていましたが、生き物一匹として入ってくることもなく、彼は彫像の周りを一周して言いました。《ねえ、君、この家には誰も居ないのかい?》
 
彫像が何も答えないので、彼はこれは誠実な人間だなと感じ、直ぐに織物を売ろうと思いました。《この人は話さない、だからお喋りじゃない》。そこで彫像に、《ねえ、君、この反物を買いたいかい? 安くしとくよ》と。でも彫像は当然の如く話しません。

自分に打って付けの人が見つかったことに満足して、グァルダーテロは次のように言いました。《この反物を納めてね。君がいいと思った額を頂戴。明日お金を貰いに来るから、初めに値段を決めといてね》 」――」[続く]
  1. 2014/09/18(木) 00:05:52|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィア憲法橋(カラトラーヴァ橋) | ホーム | 民話に表れたヴェネツィア――ジュゼッペ・ナリーン(1)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア