イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ソランツォ・ピオヴェーネ館、エーモ館、モリーン・クェリーニ館

カ・エーリッツォ・アッラ・マッダレーナ・ジャ・モリーンの右隣はソランツォ・ピオヴェーネ館です。E.& W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のような事を語っています。
ソランツォ館、エーモ館ほか「大玄関や窓のコーニスから1階の四角形の窓やメダル飾りに及ぶ左右のバランス、更には装飾的要素のエレガンスは、この建物を初期ルネサンスの最も心地よいものの一つとしている。16世紀前半の建築で、サンテ・ロンバルドに帰属する。彼は高名なトゥッリオとピエートロ・ロンバルドの息子であり、甥であった関係にある。

1760年に、ピエートロ・ソランツォの娘のチェチーリアは、ジローラモ・ピオヴェーネに嫁ぎ、この館を遺産として持ってきた。今日、財務警察の所在地である。」

その右隣のエーモ館について、上掲書の記述は次のようです。

「17世紀に建てられ、中央が突き出すような形に飛び出し、ファサードの角度が2面をなして大運河に向かい、開放的な形という特徴を示す。右のセクションである玄関側の上階は、楣(まぐさ)式のコーニスで飾られたアーチの二つの片面窓を右に配置して、三連開口部を持つセルリアーナ式窓を見せている。

左側のセクションは柱で縁どられた、三つの片面窓が規則的に配置されている[エーモ家はヴェネツィアでも古い家系として知られ、ヴェネツィアに色々建物を所持していた一家だったそうです]。」

エーモ家右隣はモリーン・クェリーニ館です。同書の記述を読んでみます。

「マッダレーナ運河の大運河への出口のカーブに建つこの建物は、16世紀のもので、ファサードの角度が変わって2面が運河に向き、広く広がっている。左角には、大運河への水への通用門が設けられ、上階の三連開口部となる四角形のセルリアーナ式窓は幅広で、他に片面窓を三つ従えている。

クェリーニ家の手に渡る前は、古い総督の家系であるモリーン家の所有で、887年以前の記録があり、大評議会の《セッラータ》時の黄金書(libro d'oro)に記載されている。905年建設のサンタニェーゼ教会のように、この一家によって建てられた教会がいくつかある。このモリーン一家からは勇敢な軍人が輩出した。

1500年代初め、マルコ・ミキエールはサン・マルコ財務官のルイージ・モリーンの息子を死に至らせた。この一家の長は裁判所に出頭する代わりに、自分の権利としてミキエールの罪を許し、もう一人の息子のマルコにも罪を許してやるように説得した。」
 ――E.&W.エレオドーリ著『大運河』(Corbo e Fiore Editori、1993)より

[セッラータ(serrata)――1297年と1307年に大議会の議員資格が特定の家柄に限定され、その家柄の全ての成年男子(25歳以上)は非嫡出や合法的に廃嫡された者を除き、大議会に議席を持ち、貴族と規定された――『ヴェネツィア貴族の世界』(永井三明著、刀水書房、1994年2月4日)より]
  1. 2014/10/02(木) 00:03:40|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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