イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア憲法橋(カラトラーヴァ橋)

2008年に渡橋出来るようになった憲法(カラトラーヴァ)橋は、出来た直後から御難続きです。建造祝賀会は当時の市長カッチャーリさんが行わないと言明、カラトラバ氏が文句を言っていると新聞にありました。また直後、車が橋を渡ったり、バリア・フリーのための工事、雨が降ると滑りやすくなる苦情等々、補修工事が続いています。
カラトラーヴァ橋市民にはこんな橋、撤去してしまえとさえ言う人もいます。市の担当者の涙ながらのインタヴューも見ました。しかし便利にはなりました。このため市はカラトラバ氏への支払いの一部を、補修費用に充てるとして凍結したという記事も読みました。昨日のLa Nuova紙は次のようなことを書いています。

「 経費の高騰、破毀院はカラトラバの上訴を破棄[日本の最高裁に当たる破毀院の破棄の判決は下級裁判所に差し戻しということ]
――スペインのスター的建築家である、ヴェネツィアの憲法橋の設計者は、ヴェーネト会計院に建造修復費用の高騰等で調査下にある。裁判官は、カラトラバは仕事の責任者であり、質問に答える義務がある、と――

スペインの建築家サンティアゴ・カラトラバ(最も有名な建築家の一人)は、ヴェーネト会計院に、目下発生中の損害のために起きた裁判を終わらせたいと求めていたが、その上訴は破毀院で退けられた。会計院は大運河の“第四の橋”の修復費用増大による損害賠償として、400万ユーロを彼に要求していた。ヴェネツィア市はこの問題あるプロジェクトにサインしていたのである。上級裁判所の警告は、カラトラバはこの建造の仕事の責任者であった、と。」

カラトラーヴァ橋については、2007.10.24日のカラトゥラーヴァ橋や2008.02.22日の大運河をご参照下さい。

共和国時代の1545年、サン・マルコ図書館(Biblioteca marciana)がサンソヴィーノの手で殆ど完成を見た時、突如崩壊し、失敗を許さない政庁は彼を獄門に下しました。その時、ティツィアーノやアレティーノが強く弁護してくれたそうです。出獄出来たのは、自分の費用で再度図書館を完成させるというのが条件だった筈です。
  1. 2014/09/23(火) 16:00:58|
  2. ヴェネツィアの橋
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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