イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: バルバリーゴ館

マッダレーナ運河から更に進むとバルバリーゴ館となります。E.&W.エレオドーリ著の『大運河』(1993)には次のようにあります。
バルバリーゴ館他「この建物は16世紀後半まで遡れるが、それ以前に存在した二つの建物を結合したもので、この建物の中心軸は二連窓とその脇に置かれた三連窓(各階にズレが見られる)という、均質でないものを統合した一塊の中心をなしている。

時代の要請でファサードはブレッシャの画家カミッロ・ベッリーニとその弟子で協力者であったヤーコポ・パルマ・イル・ジョーヴァネにより寓意的主題によるフレスコ画で描かれた。フレスコ画は、現在では殆どその姿を消した。

バルバリーゴ家は“新しい”家系に属する一家であったが、19世紀初頭に絶えてしまった。一家の名前が世に出たのはアッリーゴの功績から始まったと言われているが、その彼は9世紀にサラセンを破り、敗者の髭で首環を作ったという。事実一家の家紋には六つの髭が描かれており、年代記によれば次の諷刺のようにまるで冗談だった。《お前の家紋には髭が六つあるが、それで"男″になった者はいない。》

ヴェネツィアでは稀な事であるが、バルバリーゴ家の二人の兄弟は総督室入口の敷居の溝に足を踏み入れていた。マルコは1485年、ペストが猖獗を極める中、選出されたが、翌年亡くなってしまった。

次いでアゴスティーノは1486年から1501年までヴェネツィアを統治した。総督職にあって1489年、ヴェネツィアはキプロス(Cipro)島の君主カテリーナ・コルネール女王を受け入れた。

アゴスティーノは人民の共感を得ることがまるで出来なかった。激しく批判され、強欲で吝嗇と思われた。習慣となっていたように死後も、彼のなした行動は厳しい取り調べの対象であり続け、相続人に加えられた6000ドゥカートの途方もない罰金が科せられることにもなった。ジョヴァンニ・ベッリーニ(ジャンベッリーノ)画のバルバリーゴ総督の肖像画が存在する。
総督アゴスティーノ・バルバリーゴ司令官アゴスティーノ・バルバリーゴ左、ジョヴァンニ・ベッリーニ画『総督アゴスティーノ・バルバリーゴ』。右、海軍司令官『アゴスティーノ・バルバリーゴ』。両者Wikipedia から借用
この一家の最も著名な人物の一人が、もう一人のアゴスティーノである。彼は1571年のキリスト教同盟軍の一員として参加した有名な海戦、レーパント戦のヴェネツィア軍の艦長だった。非常に有能な海軍指揮官であり海兵であり、トルコ軍に対して勇敢な戦士として戦った。

傷つき、右眼に矢を突き刺されながら、最終的な勝利の時まで命令を下し、司令を続けた。敵ながらあっぱれなアリ・パシャ(Wikipedia は Mahmet Shoraq と表記)の敗北に同盟軍が狂喜した、正にその時になってとうとう彼は呟いた。《ようやく旅立ちが出来るな》。そして矢を引き抜くや絶命した。

更に著名なバルバリーゴ家の人物には、1655年生まれの聖バルバリーゴと、カルロ・レッツォーニコの母親となったヴィットーリアがいる。彼女は自分の息子が1758年クレメンス8世の名で教皇庁のトップに立った、その同じ年に亡くなった。」

バルバリーゴ館の右隣はズリアーン・プリウーリ館です。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように言っています。

「セルリアーナ式の露台を持つ、1600年代のヴェネツィアに典型的な建築。建物の軸線に大運河に向いた大門があり、両脇には整然と片面窓が配置され、全体としてシンメトリーが若干左にずれている。

カノーヴァの保護者だったジローラモ・ズリアーンがメチェナーテ(保護者)として著名であり、1794年カノーヴァをサン・トロヴァーゾのプリウーリに託した。

ズリアーン家はヴェネツィアに多くの執政官を送り出した古い家系である。1120年慈善行為として教会や修道院を建造した。サンタ・フォスカの同じ敷地にズリアーン家は居住し、1379年税の登録書にも記載されている。

古い人物の中で、一人パーオロは1382年イラクリオン(Candia―クレタ島の港)総督になったし、数人の外交官も登場した。多くのズリアーン家の人々はここに住い、戦士、文学者、外交官となった。」
  1. 2014/10/16(木) 00:05:16|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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