イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館(1)他

ズリアーン館を過ぎると、ルオーダ館となります。これは1600年代の建物で、2階3階の中央部分に三連窓というセルリアーナ式の開口部を持つファサードに典型的な特徴を見せており、両脇にそれぞれ矩形の片面窓を従えています。
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館他その右隣は19世紀に改築された16世紀の建物カーザ・ヴェッルーティです。更に右隣は、グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館で、E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のような事を述べています。

「この美しい建物の建築は、およそ1548~56年のものと考えられており、フランチェスコ・サンソヴィーノはミケーレ・サンミケーリの作品としているが、その帰属については研究者全員が認めている訳ではない。

2階3階の中央部に露台付きの四連窓がある高貴な姿を見せている。ピアーノ・ノービレの開口部はドーリア式柱で窓が枠取りされ、アーチを描くペディメントが上部を飾る二つの片面窓が脇を支える。

ファサードはヤーコポ・ティントレットが花のモチーフとメダル風の肖像画のフレスコ画で全面を描いたが、今や失われてしまった。しかしアントーニオ・マリーア・ザネッティによる、そのエッティングが残され、1760年代『フレスコ画による各種絵画』として出版された。今日ではヴェーネト州の州庁の所在地である。

グッソーニという古い一族はヴェッルーノ出身で、1020年サンタ・ソフィーア教会を建立した。この分家は今やフランケッティとなっている館の中のサン・ヴィターレに居を構えた。

1569年5月、オーストリア神聖ローマ帝国皇帝の弟カール(Carlo)大公が、彼に敬意を表して行われた豪華なレガッタを中央バルコニーから観戦した。館は彼のフレスコ画と潤沢な美術作品のギャラリーで著名である。

この一家の男系は、1735年の元老院議員ジューリオの死で絶えた。彼はこの館の半分を遺産として妻のファウスティーナ・ラザーリに、半分を娘のジュスティニアーナに遺した。娘は1731年ベルガモ伯フランチェスコ・タッスィスとヴェネツィアから逃亡したため(二人はその後結婚はしたのだが)、厳しい物議を醸した。ジュスティニアーナは夫に先立たれ、1736年ピエートロ・クルティと再婚したが再び独り身となり、1747年亡くなった。

そこでファウスティーナは全館の唯一の相続人となり、グッソーニの姓を冠する必要から、建物を一家族用に改築した。ジローラモ・ミーニオ・グッソーニは、1798年グリマーニ家に館を売り払い、グリマーニからヴィーダ家が1816年購入した。」
  1. 2014/11/06(木) 00:05:41|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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