イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの歴史: カッシオドルス書簡(537年)

ルカ・コルフェライ著『図説 ヴェネツィア』(中山悦子訳、河出書房新社)の巻末の年表中、538年の項には「カッシオドルスの書簡(ラグーナの住民に言及する最古の資料)」とあります。ジョヴァンニ・ディステーファノ著『ヴェネツィア史 421-1099』(Supernova刊)の537年の項には次のような記事があります。
ヴェネツィア史 421-1099「537年= カッシオドルス(伊語Cassiodoro、490-583)はコスタンツァーロのスクィッラーチェ生まれのラテン語作家で、東ゴート族の王ウィティギス(伊語Vitige、536-40)の秘書官であったが、ヴェーネト人(i venetici)の地方に到来し、イストラ(Istria)半島からラヴェンナまでワインやオリーヴ・オイルの運搬を依頼し、結果、この地域が海上交通に優れていることを称賛した。

この派遣のお陰でカッシオドルスは、近隣のヴェーネト人と知り合い、彼らを観察して、『カッシオドルス書簡(Lettera di Cassiodoro)』として知られる貴重なドキュメントを遺した。その中で、島の住民達とは、豊富な海産物の一つ、魚類を餌とする水鳥のようなものだと言っている。

そして貧富の別なく同じような家で、同じような生活態度で共存しており、お互いに連帯し合って、特に製塩に励んで生活している。そのことで塩製品以外の物を購入することが出来る、と。

カッシオドルスの証言は、海上活動の有り様を明らかにする意味で重要である。それは護岸工事によってラグーナ内部に作られた運河での航行、ラグーナ内に出来た航路を遡航して昇った川での航行や、また沿岸航海、更にアドリア海の対岸までの航海、即ち彼らが、船乗り達の船が辿る《果てしない空間》と呼んでいる海、その開かれた空間の向こうのイストラ半島の海岸まで横断することであった、と。」
  1. 2014/11/20(木) 00:03:41|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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