イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

寺崎武男展(2014.10.02~11.16)

寺崎武男(1883~!967)という画家を初めて知りました。人伝に展覧会の事を教わり絵を見に行ってきました。11月16日までやっています。
寺崎武男展・表寺崎武男展・裏寺崎武男はヴェネツィアで学んだ彫刻家長沼守敬(もりよし)らに憧れて、自身も農商務省留学生として1907年(明治40年、24歳)渡伊し、ヴェネツィア国立高等美術院で、人体、彫刻、建築、版画等美術全般を修め、テンペラ、フレスコ画、エッチング等研究・制作し、1916年(大正5年、33歳)帰国しました。在伊中、天正遣欧少年使節の事跡に感動し、生涯使節の事とヴェネツィアに拘って描いたそうです。ヴェネツィアを第二の故郷としていたそうです。
ヴァチカンへの行列レデントーレの祭総督宮殿ヴェニスの船出寺崎武男画、左から①『遣欧少年使節 ヴァチカンへの行列』②『ヴェニスの歓迎~レデントレの祭り』③『ドゥカーレとサンマルコ広場』④『ヴェニスの船出』――②は、1585年6月26日に、フェッラーラからキオッジャを経てヴェネツィアにやって来た天正遣欧使節を、7月のレデントーレの祭の豪奢な船列で出迎えた、として描いているようです。毎月25日に行われていた定例の聖マルコの祝日の華麗な行列も6月29日に遅らせて少年使節に披露されたといいます。

2008.11.29日に書きました墓参のように、彼はヨーロッパ初の日本語学校の日本人教師として、ヴェネツィアで最後の6代目教師を1908~09年勤めました。日本語教育の教科書の編纂にも関わり、その何年か後始まった、ヴェネツィア大学日本語学科の礎を築いた人といえるでしょう。

今回の展覧会で分かった事は、2008.03.21日に書いた天正遣欧少年使節(1)のドメーニコ・ティントレット(大ティントレットの息子)が描いた伊東マンショの未発見の肖像画が、本年2014年3月イタリア北部のある個人コレクションで見付かったという、ニュースです。未見ですが、何年か前の伊東マンショの新しい絵の発見といい、今回の発見といい、感動的なことです。是非見たいものです。

この目黒駅前の久米美術館は、岩倉具視の米欧回覧に随行して、『米欧回覧実記』を著した久米邦武を記念する館です。邦武の息子桂一郎は洋画家で、黒田清輝と共にパリからヴェネツィアに寺崎武男を訪ねて遊びに行っているそうです。久米邦武については2010.10.16日のブログ久米邦武をご覧下さい。
『イタリア図書』44号神田神保町のイタリア書房刊行の雑誌『イタリア図書』(年二回刊)の44号から、寺崎画伯の御子息寺崎裕則氏が御尊父の事績について執筆連載中です(最新刊は50号)。

追記=伊東マンショPCで検索した結果、上記のこの“伊東マンショ像”(トリブルツィオ財団蔵)の絵に遭遇しました(絵は日本美学研究所のサイトから借用)。次のブログが大変参考になりますのでご覧下さい。日本美学研究所。尚、この発見の経緯を2014.03.20日の読売新聞が詳しく報じているそうで、その事に触れたブログEssais d'hermeneutiqueで知ることが出来ます。
  1. 2014/10/18(土) 23:04:52|
  2. ヴェネツィアに関する展覧会
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!  展覧会を見られたのをお知らせ頂き、お邪魔しました。

私は美術館からのお知らせで画伯の事も知ったのですが、こちらで少年遣欧使をヴェネツィアに迎えるのにレデントーレのお祭りと同じに歓迎したとする絵や、これも大作なのですねぇ、伊藤マンショの肖像をドメニコ・ティントレットが描いていた事、久米美術館の由来なども教えていただきました。 
有難うございます!
こちらの記事で取り上げていただいている事を美術館の方にもお知らせいたしますね。
と、私の記事からもこちらにリンクを、ご了承お願いいたします。

寺崎画伯は約10年ほどイタリアに、日本人学校で教えられていたという事ですから、ヴェネツィアにはきっと長い滞在で、第二の故郷と言われるほどどっぷりとつかって居られたのであろう事がよく想像できます。
はるか明治時代に、鎖国から解放された日本人が何人もヴェネツィアにと思うと、ちょっと胸に来るものがあります。


  1. 2014/10/21(火) 05:14:37 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

寺崎武男展

shinkai さん、本当に有難うございました。案内状を頂かなければ、
この展覧会の事も分からずじまいだったことでしょう。会場には御子息
の寺崎裕則氏がおられ、丁寧に説明をして頂きました。近来稀なる感動
と興奮を頂きました。水彩画分室の方で、お礼を言わせて頂くのが筋
ですが、こちらで感謝の意を述べさせて頂きました。

鷗外の『独逸日記』を読むと、鷗外とヴェネツィア日本語学校の第二代
教師緒方惟直や第四代の長沼守敬との繋がりが分かりますが、その四代
の彫刻家長沼に憧れてヴェネツィアに留学した寺崎、また彼と友達だった
久米桂一郎や黒田清輝といった人々の人脈を知るにつけ、明治と言う時代
の偉大さに感動します。
  1. 2014/10/21(火) 11:47:31 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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