イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: コンタリーニ・ピザーニ館他

グッソーニ・グリマーニ館を過ぎるとノアーレ運河の右隣にダ・レッゼ館があります。ひときわ低いゴシック様式の建物で、中央部に尖頭式の三連窓がありますが、建物前部に庭の空間を持つ、総体的に簡素な建物です。15世紀に建てられたのですが、直ぐに改築されたと言われています。
コンタリーニ・ピザーニ館他更に右に進むと、ボルドゥ・ギーズィ・コンタリーニ館です。この建物は1600年代のもので、1階部分は田舎風の浮出し飾りの石積みで、ピアーノ・ノービレは1階玄関門と同様な構造のセルリアーナ式で、軸線が右に偏っています。
[セルリアーナ式とは、ヴェネツィアの建築によく見掛ける三連の窓や門で中央はアーチ、両脇は楣(まぐさ)式の開口部となっているものを指します。]

現在では消滅してしまった家系ギーズィ家の分家の物でしたが、結婚で800年にヴェネツィアに到来したボルドゥ家の手に渡りました。その右の建物はコンタリーニ・ピザーニ館です。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(Corbo e Fiori Editori、1993)は、この館について次のような事を述べています。

「古い建物を1600年代に改築したもので、1階ポルティコの右端の、ストラ半島産石のゴシック様式の柱頭の大きな柱は、多分その時の名残である。現在のファサードは大変単純なもので、中央に位置する2階と3階のアーチとなった楣式の三連窓は、ヴェネツィアでよく見掛けるものである。同じ様式が1階にも見られる。

コンタリーニ家はヴェネツィアにとって、重要であると共に古い大家の一つである。12使徒の家柄の一つで、ヴェネツィアで最大数の総督数、8人を生み、サン・マルコ財務官44人を輩出したが、現在では消滅してしまった。

イスラエルのザッフォ(ヴェ語Zaffo=伊語Giuffa、ヤッファJaffaのこと)から到来した伯爵の家系で、テル・アビブでシュヴァリエ(chevalier=騎士)身分を名乗っていた。大変に富裕であり、コンタリーニの名前はヴェネツィアの最も美麗な建築物と結び付くものである。

最初に総督になったドメーニコ1世(1043~70)は、その総督に相応しい寺院と重要な宮殿を持つべく努め、総督オルセーオロが建てた、倹しい古い建物は壊し、今日でも賛辞される素晴らしい建物を、数世紀後には完成するべく下準備に取り掛かった。しかし彼は、必要と思われる巨額の費用には心がひどく傷んだ。

サン・マルコ広場でのある特別の儀式の時、元首の考えを述べたいと思い、警察長官の大隊長に退任するかどうかを尋ねた。僭主政的専横を恐れる、勝手な行動を認めない元老院は彼を激しく非難し、警察長官という“大物(messer Grando)”が総督の言い分を聞くという軽率さを反省させようと獄へ入れられた。その時、総督は唯一警察官に命令を下すことが出来るのは元老院であることを知ることになった。

もう一人の偉大な総督はアンドレーア(1368~82)で、勇敢な軍隊指揮官であり、有能な政治家だった。彼には若い時、将来“閣下(Missier)”と呼ばれるに違いない雰囲気があったが、望みもしない名誉如きは避けたいがため、それに見合った態度を示すことが出来ると考え、41人の選挙人には立候補しないと伝えた。

しかしながら選出されたことが分かった時、町から姿をくらました。選挙の結果を彼に伝えなければならない委員会メンバーは、彼の自宅には使用人しかいないことを知った。誰も彼の居場所を知らず、その時判明したことは、新総督が町から逃げ出したということだった。

しかし元老院議員は役立たずのヴェネツィア人ではなかった。探偵となって、最終的に逃亡者を発見した。彼はパードヴァのあばら家に隠れ潜んでいた。彼は、かつてシリアに行った時、占い師に自分が総督職に就くとヴェネツィアが困った事態に落ち込むと予言されたと言って、言い逃れようとした。貴族達は、もしそれでも拒否するならば、死罪を申し付け、全財産を没収すると冷酷に言い放ち、話を切り上げた。

ヴェネツィアは後悔することはなかった。中でも彼の下でキオッジャとの長い厳しい戦いに勝利したのだが、ジェーノヴァ共和国との苛烈な関係が始まった。」
  1. 2014/12/11(木) 00:05:38|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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