イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの歴史: ランゴバルド族(569年)

ルカ・コルフェライ著『図解 ヴェネツィア――「水の都」歴史散歩』(中山悦子訳、河出書房新社、1996年1月25日)の巻末の年表の569年の項には「ランゴバルド族、ミラノに達する。陸地からラグーナの島々への避難」とあります。

G.ディステーファノ著『セレニッシマの歴史 421-1099』(Supernova、2010.02)には、568年の項にそれに見合う記事が次のように書かれています(当時ヴェネツィアの一年の始まりは3月だったようです)。
ヴェネツィア史 421-1099「568年4月2日= ランゴバルド(伊語Longobardo、独語Langobarde)[恐らく髭と髪を長く伸ばしていたため、こう呼ばれる。lunga(長い)、barba(髭)]族は、北パンノニア[ドナウ川南西部の古代ローマの属州、現、ハンガリー地域]を復活祭の日に出立し、Predil(Alpi Giulie 北東アルプス)の峠を抜け、アッティラや他の蛮族のように略奪行為はせず、その地に定住した。事実、スラヴやブルガリア兵で強化された軍隊の後ろから、それぞれ軍隊長の命に従う1万ほどの男達が35の部族に分かれ、全家財を携え、女、老人、子供、家畜らを従えた……。

ビザンティン人はイタリアを失うはめになったが、その間、オデルツォを主都に定めていた。スカンディナヴィア出身のランゴバルド族は良き土地を探して動き回り、ドイツ(Alemagna)に住んでいたバンダル族が移動した(369年)後、パンノニア[ハンガリー西部、ブルゲンラント(Burgenland)、ウィーンとスロヴェニアの一部のオーストリアの地域]に定住し(527年)、何年も動かなかった。

その間、ある物はコンスタンティノープル(Costantinopoli)の傭兵となってイタリア半島を南下し、その土地がパンノニアより良い土地と知って決定する……モルドヴィア(Moldovia)から来たフン族の一派のavari(強欲者) に譲って土地を後にした。彼らの残酷さとその恐ろしさは有名だが、ランゴバルド族はナルセス(Narsete)の助けを大いに得た。彼はラヴェンナを征服し、無秩序で強欲な、かなり危険な連中を国へ返した。

何年か後、ナルセスはその地位を奪われ、追放された(567年)。彼の代わりにロンジーノ(Longino)がやってきた。その間アルボイーノ(Alboino) はランゴバルト族の王となった(560)。そしてナルセス は無法に罰せられたと考えられるが、アルボイーノに侵入を示唆したのは、ナルセスが死ぬ(568年)前、兵站的な軍事計画を授けたのは彼だったのではないかと言われている。

ある事実からの推測がある。それはアルボイーノが素晴らしい戦略と十分な兵站準備で行動したということである。そして多分ナルセスの配下がいたということである。何故かならばその地域の資料が大切に保存されていたからである。多分ナルセスは自分の追放時、その資料と共に追い出されたに違いない。資料の内容とは、道、国、町、住民数、要塞、砦を守る守備隊数などである。

事実、半島を南下すると、アルボイーノは征服すべき場所を選び、よく守護された所やビザンティン海軍に容易に守護出来る海岸地帯は避けた。

征服の度にその種族の長は土地の総督の称号を彼に呈し、彼らは軍隊と家財道具等や後ろから付いてくる家畜類と共に定住した。こうして Venetia のチヴィダーレ・デル・フリウーリ(Cividale del Friuli―Forum lulii)に甥のGisulfo と共に最初のランゴバルトのドゥカーレ(ducaの)王国を創建した後、アルボイーノの王国はパダーニア(Padania)に広がっていった。

こうしたことで、最初オデルツォ、アルティーノ、パードヴァを軍事的に制圧することは止め、トレヴィーゾに方向転換し、ヴィチェンツァ、ヴェローナを征服し、更にミラーノにまで向かった(569年9月)。この地域全てを支配したため、Longobarda、即ちLonbardia と称されることになる。

そしてパヴィーアを攻め、3年後には降伏(572年)させ、彼らの主都とする。続いてアルボイーノは半島中央・南部のカラーブリアまで、ビザンティンの領域を三角形の形に攻めて行く。しかしこの半島周辺の海岸沿いはオリエントの帝国に臣従しており、アルボイーノからは自由だった。」
  1. 2014/12/18(木) 00:01:54|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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