イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの歴史: アックァ・アルタ(588年)とオデルツォ陥落(639年)

ルカ・コルフェライ著『図説 ヴェネツィア――「水の都」歴史散歩』(中山悦子訳、河出書房新社)の巻末年表588年の項に「大雨と大洪水でヴェネト地方の河川が変化。アディジェ川の流れも変わる」とあります。

2013.01.19日のアックァ・アルタの2で、記録に残るアックァ・アルタの最初期のものとして、G.ディステーファノ著『ヴェネツィア史 421-1099』の589年の項として触れましたので、アックァ・アルタについてはそちらをご覧下さい。

『図説 ヴェネツィア』の次の639年の「オデルツォ陥落。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の権力の中心はチッタノーヴァ、エラクレアに移る」という記述と同じ年の、『ヴェネツィア史 421-1099』の639年の項は次のようです。
ヴェネツィア史 421-1099「639年= 新王ロターリ(Rotari)に率いられるランゴバルド族は、アルボイノが防御が軍事的に万全として攻撃を避けていた町、オデルツォ、アルティーノ、パードヴァを攻めた。オデルツォは地域の政治的軍事的長(おさ)の在地であったが、最終的に墜ちた。

司教聖マニュス(Magno、古代羅語マグヌス)は(オデルツォの)opitergino の最も重要な一家らと共に、Melidissa(更にはエラクレーア)の島への脱出行を指揮した、何百という人々を引き連れて。一方、ある人々はイエーゾロへの移動を選んだ。

エラクレーアの名前は、教皇セウェリヌス(Severino)の教書の中に初めて(640年5月28日)登場する。彼はトルチェッロと、ビザンツ帝国皇帝ヘラクレイオス(610~641)が作ったエラクレーアのチヴィタ・ノヴァの教区を設けた人であり、その町を守った。この町の歴史は古い。
[イタリアでエラクレーア(Eraclea)という地名は、古代ローマ時代ヘラクレア(Heraclea/Herakleia)の戦いがあった、ターラント湾に面したポリコーロ(Policoro)傍の史跡としての名称と、ここヴェーネトの町。ヘラクレイオス(伊語Eraclioエラークリオ)が作った町の意で、エラクレーアと呼称されるようになったのでしょう]
Melidissaこの町はキリスト教時代、数世紀前に遡り、イゾンツォ川とアーディジェ川の間を下ってきて島民となった人達は狩猟漁労で生活していた。これらの島民達にとって、オデルツォの入江の Melidissa の島は、大きさでも重要さでも価値の高いものであった。この名前のギリシア語の意味(meliedes=より良い、中央の)では、この地域で最も評価の高い都市部であった。

伝説は言っている。即ち、既に169年にマルコマンニ族(marcomanni )から逃れようとしていた。グラード教区会議がオデルツォから司教座を移すことを決定した(579年11月3日)のであり、居住地とは決定的な役を果たすに違いないのだから、オデルツォの人々は Melidissa に移動したのだと。

正式には638年何が起きたか、事実、移動は568年に起きていた。その時オデルツォの司教聖マニュスは、ローマ教会と反対のアリウス派の信仰というキリスト教を信奉していたランゴバルド族の迫害を避けるために、最も重要なopitergino 一家らと移動してしまっており、その地にサン・ピエートロ・アポーストロ司教座聖堂を建てていた。

その時からエラクレーアは、西洋と東洋の架け橋としての入江地区の最大の町になっており、ビザンティンとランゴバルドの宮廷と、商業的・外交的関係を正式に持ち、商人達はコンスタンティノープル(Costantinopoli)でのように、パヴィーアでもどこでも赴いた。

それ故エラクレーアは、トルチェッロと同じようにラグーナの大商業センターであり、政治の中心になった。将来に生まれる総督の最初の在所、政治軍事の中心地であり、結局ビザンティン帝国の支配の下で、ローマのVenetia という、この地区の主都となる。

しかしながら現在、エラクレーアには何も残っていない。……」
  1. 2014/12/25(木) 00:00:44|
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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