イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの伝説: 初代総督パオルッチョ・アナフェースト(697~716)(2)

(続き)
「ラグーナ内部の土地を覆っていた政治的・精神的危機感の中にありながら、その地方の中心である厳しい政庁から自治独立したのだが、それは行政・防衛の面ではビザンティン方式であり、宗教はローマ教会式で、正に一つの伝説、少なくとも一つの言い伝え、それは具体的な証拠で補強はされていないのだが、最初の duca(公国の君主)、ヴェネツィア語で言う doge(ドージェ、総督)の選出に関係する伝説として広まっていく。

即ち、エラクレーアで697年に選ばれたパオルッチョ・アナフェースト(Paoluccio Anafesto)である。更に詳しく言えば、それはサッビオーニ岬そばのリーオ・グランド海岸の、今日では失われてしまったサン・ニコロ教会に残る、ある言い伝えに寄るのである。

13世紀に遡る、Altinate 年代記には、グラードの大司教クリストーフォロの下、決定された重要な政治に参加した最重要な家の名前が列挙されている。大司教には、ビザンティン政庁に繋がる、〝自治がより一層逞しくなる″〝憲政的な熟成度の確保"〝彼らの力に頼りながらではあるが、ある国家的状態に達する"といったような意味合いがあった。

Apostolico(使徒の)という形容詞を冠する12の家系は重要で裕福な家だった。Badoer(バドエール)、Barozzi(バロッツィ)、Contarini(コンタリーニ)、Dandolo(ダンドロ)、Falier(ファリエール)、Gradenigo(グラデニーゴ)、Memmo(メンモ)、Michiel(ミキエール)、Morosini(モロズィーニ)、Polani(ポラーニ)、Sanudo(サヌード)、Tiepolo(ティエーポロ)がそれであった。

この選出については、何世代もの歴史記述家達の言い争いが続いた。公の市民集会はあったのか、なかったのか、古い年代記といえども全ては後世のものであり、実際に起こったように事件を語る、あるいはヴェネツィアの自治独立を顕彰したいがために、むしろ事件を歴史叙述の必要に合わせようとする。確かにこの選挙活動についての疑いは存続する。

しかしながらランゴバルド王リウトプランド(Liutprando、712~744)の時代、712年以後のことであるが、パウリーチョ(Paulicio)公(duca)は軍略に秀でたマルチェッロ(Marcello)と共にエラクレーアの領地の中でランゴバルド王国との境を定めようとしたのは確かなことである。

しかしこのパウリーチョがいかなる人物であったか、明確な部分もあるが、彼をランゴバルド公と同一視する人、また彼を初代ヴェネツィア総督とする人、あるいはまたそれが正しいと思われるが、ラヴェンナのビザンティン太守(esarca)、パウルス(Paulus)と同一視する人もあり、その人物はこの地域の全土地を法の下に統合する任にあった。

地域の境界線の画定は、国家の役目であったし、確かに責任ある当局の特権であった。即ち、ラヴェンナの太守(ビザンティンのesarca―Paolo/Paulus)と地域の偽政者(軍事の専門家 Marcello)の、海賊の侵入等からヴェネツィアを守るための最初の町の要塞化の仕事は、Paulicio/Paoluccio の役目であった。当然海軍造船所の建設も必要であった(このケースも mere illazioni である)。

そして717年居住地としてのエラクレーアに叛旗を翻すマラモッコとエクィーリオの貴族の陰謀の犠牲となり、街が陥落した。」
ヴェネツィアが燃えた日[第2代総督は、マルチェッロ・テガッリアーノ(717~726)と言われていますが、この軍事の専門家のマルチェッロがその人だったのでしょうか。マルチェッロ家は1700年代には、アレッサンドロとベネデットの音楽家を輩出し、ヴェネツィア音楽院の正式名称はその名前でベネデット・マルチェッロ音楽院です。現代のマルチェッロ家の頭首ジローラモさんは、ニューヨークに死んだロシアのノーベル賞詩人ブロツキーの遺体をサン・ミケーレ島墓地に移し、葬りました。ブロツキーはヴェネツィアに来ると、マルチェッロ家に泊めてもらっていたようです。ブロツキーについては2009.11.14日の、《ヨシフ・ブロツキー 2等で触れました。上掲の『ヴェネツィアが燃えた日』はマルチェッロ家とブロツキーの関係や米人詩人エズラ・パウンドのこと等、大変面白い本です。一読をお勧めします。]
  1. 2015/01/08(木) 00:03:00|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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