イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

旅行記に記されたヴェネツィア――与謝野寛

神田神保町を歩いていましたら、『保存版 世界紀行文學全集――イタリア』(修道社、昭和四十六年九月三十日)が古本屋さんの店頭に並んでいましたので、購入しました。ヴェネツィア滞在があっても、編輯ものですので必ずしもヴェネツィアが取り上げられている訳ではないし、内容によりカットされたりしているかも知れません。歌人・与謝野晶子の連れ合い、与謝野寛(号、鉄幹)のイタリア旅行記《ヴェネチヤ編》(明治45年)がありましたので、先ずその引用をしてみます。
世界紀行文学全集「 ヴェネチヤ
午前四時にヴェネチヤへ着いた。水の上の街は夜霧の中にぼんやりと黒く浮いて居る。乗客の少い夜汽車から降りた三十人程の者は夜が明けて後に来る一銭蒸汽を待つ積りか大抵停車場(ステイション)の待合室へ入って仕舞った。

前の岸には五六隻のゴンドラが寄って客を呼んで居る。三四人其れに乗る人もある様だから僕も其内の一隻へ飛乗った。いや飛乗ろうものなら直ぐに顚覆するに決ってるが、其れと見て岸に居る一人の立ン坊が船を押えて呉れる。其処へ船の中から差出す船頭の手につかまって徐(そ)っと乗ったのだ。早速立ン坊君に五文銭一枚を与えねば成らなかった。

ゴンドラは軽く跳る様に水を切って小さな運河へ入った。天鵞絨(ビロウド)を張った真黒な屋形の中に腰を掛けた気持は、上海(シャンハイ)で夜中に乗った支那の端艇(はしけ)を思い出させた。狭い運河の左右は高い家家で劃(しき)られ、前は暗と夜霧とで二間と先が見えない。

運河は矢鱈と曲り、曲り角の高い壁に折折小さな瓦斯(がす)灯の霞んでる所もある。出会う舟も無いのだが、大きな曲り角へ来る度に船頭が《ホオイ》と妙に淋しい調子で声を掛ける。あとはなみなみとした水を切る櫓の音許りだ。

一人乗ってる僕は大分心細かったが二十分の後に再び大きな運河へ出て詩人の名を家に付けたホテル・カサ・ペトラルカの門前へ着いたのでほっと安心した。門の鈴を船頭が稍(やや)久しく押してると、之がヴェネチヤ美人と云うのだろう、目の大きく張った、チチヤノの絵に見る様な若い女が寝巻の上に遽(にわか)に着けたらしい赤い格子縞の前掛姿で白い蠟燭を手にして門を開けて呉れた。

一寝入したと思う間も無く寺寺の朝の鐘が遠近(おちこち)から水を渡って響くので目が覚めた。窓の下が騒がしいのでリドウを掲げると運河には未だ水色の霧が降って居る。弱い朝日の光が霧を透すので青青とした水が紫を帯び、其れに前の家家の柱や欄干やゴンドラを繫ぐ杭などが様々の色を映してるのが堪らなく美しい。そして騒がしいのは行き交うゴンドラの船頭の声であった。
……
三日目には美術館でチチアノの《基督(クリスト)昇天》、《ピエタ》を始めチエポオロの絵を観、又貴族政治時代の栄華をドガアルの宮殿に眺めたが、フィイレンチェ行の汽車の時間が迫ったから委しく書く余裕が無い。最後に昨夜の月明に何処からとも無く響くギタルの音を聞いて寝たのが何だか物哀しかったことを付記して置く。」
  1. 2015/01/15(木) 00:04:09|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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