イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: フォンターナ・レッツォーニコ館とミアーニ・コレッティ・ジュスティ館

コンタリーニ・ピザーニ館を更に右へ行くと、トラゲット通りの右に16世紀の建物、レーヴィ・モレーノス館があります。この館の一部の庭が大運河に面し、脇のサン・フェリーチェ運河と、ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館の一角の庭とに挟まれて、フォンターナ・レッツォーニコ館があります。この建物についてE.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように語っています。
フォンターナ・レッツォーニコ館「……二つの庭に挟まれて建つ、この大きな建物は16世紀終りから17世紀初めの建造と言われている。対称形をなしていないファサードは、大運河側の大門と軸線をなす一面窓を両脇に置く四連窓からなり、コーニスと窓の露台を水平方向の大理石飾りで結ぶようにして、開口部の柱を幾何学的網目模様で飾っている。

1549年ピアチェンツァからヴェネツィアにやって来たフォンターナ家のために建てられた建物。この一家の一人、ピエートロはフランス王のお陰でカゼルタの支配者となった。彼の娘達四人は、皆ヴェネツィア貴族と結婚した。

ある期間、この館はレッツォーニコ家に貸し出され、1695年カルロ・レッツォーニコがここで生まれた。彼は将来、教皇クレメンス(Clemente)8世(1758~69)となる。」

この館の右隣は、ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館で18世紀にアントーニオ・ヴィゼンティーニが建てたものです。上掲の『大運河』(1993)は次のように書いています。
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館「画家であり建築家であったアントーニオ・ヴィゼンティーニによって、1776年(ファサードにその年号が刻まれている)建てられた。彼の名前はカナレットの都市景観画(veduta)を板刻した版画で、特に有名である。

ファサードは美しい。彫刻を収めた壁龕とアーチ型の大門がドーリア式の半柱の間で交互に繰り返される1階は、パッラーディオを連想させるものであり、露台が水平に流れる上の階では、テラコッタ製のパネルが嵌め込まれ、彫刻的要素はなくなり、最上階には胸像が置かれている。そしてその上は屋根裏部屋である。

右隣はカ・ドーロ(フランケッティ美術館)であるが、今日、このジュスティ館もフランケッティ美術館の一部である。」

2012.10.13日のブログアントーニオ・ヴィゼンティーニでヴィゼンテーニとミアーニ・コレッティ・ジュスティ館について触れました。
  1. 2015/01/22(木) 00:07:36|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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