イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

法学者の紀行文に表れたヴェネツィア――田中耕太郎

『世界紀行文學全集 第五巻 イタリア』(修道社、昭和四十六年九月三十日)に収録された、吉田茂内閣文部大臣等を歴任した、東京大学法学部の田中耕太郎教授の紀行文《イタリア紀行》は、彼の著書『南欧芸術紀行』(文藝春秋新社、1952年刊)からの転載と思われます。その中の《ヴェネチア、12.11》編は、次のように始まります。
世界紀行文学全集「ヴェネチアは不思議な都である。その全体が大小の運河を通した島の上にあることはとくにいうをまたない。水はこの町の往来で、小蒸気やゴンドラは町の交通機関である。道は全部見事な敷石で、狭く迷宮のようになっているが極めて清潔である。

ところによっては人二人が触れ合わないではすれ違えない。道は複雑していて行き止りが多く、不案内の私は人の家や運河に突き当って引返さなければならぬことが度々あった。往来には車類は一切見受けられない。自動車は勿論のこと自転車、荷車さえもない。従って車を曳く牛馬もいず犬すら見受けられない。

この故に人は安心して歩むことができる。町全体は石畳が敷きつめてある。公園もなく庭園もない。ここでは我々は土を踏む可能性は絶対に存しない。」
……
「リアルトーの橋を渡りティチアノのアヌンチアチオーネ及びジォヴァンニ・ベリーニのエマオのクリストを蔵するサン・サルヴァトールを見、最も繁華な商業区域のメルツェリアを通ってサン・マルコの広場に出る。

その南北はプロクラチェ(ドーチの下の高官の邸宅)でその東はサン・マルコの教会にによって囲まれ、全部石を敷きつめた長さ百七十五米、幅五十六米の大広場はイタリアのみならず他の国においても比類のないものである。

私は十八世紀のヴェネチアの画家の描いたこのピアッツァの油絵をロンドンで多く見たが、それは今でも全くその通りである。我々はそれからしてヴェネチアの盛時をさながらに見ることができる。……」

現在では旅行ガイドが正確になり、こういう、かつての紀行文を距離をもって読むことが出来るようになり、隔世の感があります。かつて初めてヴェネツィア行を目指した時、トーマス・マンのように船でサン・マルコ岸へ着岸を、と思いながら、当時のガイドにはそういう案内はなく、発見まで数年掛かりました。その間、伊語習得を目指しました。今では一つの手段、マルコ・ポーロ空港からアリラグーナ船でサン・マルコ広場前に直接到達する便を知っていますが。
  1. 2015/01/23(金) 00:01:00|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィア: ヴァポレット事故 | ホーム | ヴェネツィアの建物: フォンターナ・レッツォーニコ館とミアーニ・コレッティ・ジュスティ館>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア