イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアはビザンツから独立(751年)

ルカ・コルフェライ著『図説 ヴェネツィア』(中山悦子訳、河出書房新社)の巻末の年表、742年の項には「チッタノーヴァ、エラクレアの政治の中心がマラモッコに移る」、更に751年の項には「ランゴバルド族ラヴェンナ征服、ヴェネツィアはビザンツから独立した存在となる」とあります。G.ディステーファノ著『ヴェネツィア史 421-1099』(Supernova)の751年の項でもう少し詳しく見てみましょう。
ヴェネツィア史 421-1099「751年: ビザンティン人がラヴェンナから追い払われた。――
ランゴバルド(longobardo)族の王アストルフォ(Astolfo―749~756)がこの町を征服し、五都市連合のペンターポリ(Pentapoli)はビザンティン太守の支配した行政区に終止符を打たせた。ヴェネツィア総督はそれに介入しなかった。むしろランゴバルド族との善隣を目指し、協定を結ぶことを優先した。ラヴェンナ陥落の時、ヴェネツィア総督領の真の独立の端緒がほの見えた。

ビザンティン皇帝の好意を失ったために、行動に二つの間違いを冒した。いずれにせよ、アルボイーノ(Alboino)が侵攻し(568年)、オデルツォとアルティーノの占領(639年)の後、ランゴバルドのヴェーネトへの侵入が完結する。

コンスタンティノープルはランゴバルド族の征服には動こうとはせず、その時、アストルフォは勝利したと思い、イタリア半島でのビザンティンの権威は自分に移ったと思い、この統治権を行使しようとローマに迫った。

教皇ステファヌス(Stefano)3世(752~757)にとっては、フランスに難を逃れ、フランク王ピピン3世(714~768)短躯王(il Breve)に教会とローマ人の保護を求めるしか手立てがなかった。その交換に、教皇はピピン3世とその二人の息子、カール大帝(741~814―シャルルマーニュ)とその弟カールマン(Carlomanno―751~771)にローマ貴族の称号(754年)を与えた。その称号には権限などは含まれていなかったが、ローマ公のもとで定住することは出来た。

この行動で教皇の俗権が生まれたと言われている。その俗権は教皇庁の人達がコンスタンティヌス帝まで遡らせるもので、有名な《コンスタンティヌスの寄進》状と呼ばれるものを生んだのである。それはロレンツォ・ヴァッラが証明したように、偽文書である。ランゴバルド人がラテン語で書いたものである。

その中で言われている事は、凡そ次のようである。シルウェステル1世(314~335―Silvestro)によりハンセン病(癩病)から回復し、彼によって洗礼を受けたローマ皇帝コンスタンティヌス(Costantino)1世は、ローマ、全イタリアや西欧世界における司法長官の職と支配権を彼に与えた。

そして口出しや介入をされないために――天界の皇帝であるキリストがキリスト教信仰の第一人者(教皇)を指名するという、その力を地上の皇帝が、使用するのは相応しくないのだが――ビュザンティオン(Bisanzio、ビザンティウム)に(ローマに変わる)新都市を移し、コンスタンティノポリス(伊語Costantinopoli、英語Constantinople、現Istanbul)として建設した。」

日本の百科事典に《コンスタンティヌスの寄進状》という項目があります。読んでみましょう。
「中世最大の偽書といわれる文書。作成の事情に関しては異見が多く、ピピン3世の754年のローマ教会への寄進に関連し、800年のカール大帝の戴冠を正当化するためにローマで作成されたとする説が有力であるが、9世紀前半フランク王国成立説もある。

内容は、コンスタンティヌス1世(大帝)が癩病を時のローマ司教シルウェステル1世の洗礼によって治癒したことに感謝して、ローマ司教とその後継者がアンティオキア、アレクサンドリア、コンスタンティノープル、エルサレムの四主教座の上に支配権を有すること、またローマ市を含む全イタリア、西方属州、地区および都市をローマ司教の支配にゆだねることを述べており、教皇権の世俗権、皇帝権に対する優越を主張したものとされる。その偽書たることは15世紀にニコラウス・クサヌスおよび最終的にはバラ[ロレンツォ・ヴァッラ]によって論証された。」
  1. 2015/02/12(木) 00:03:07|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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