イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア―フィリップ・ソレルス(2)

フィリップ・ソレルス著『遊び人の肖像』(岩崎力訳、朝日新聞社、1990年12月20日)を読みました。この作家は女性との関係を中心に、色々の事に思いを馳せ、それについてイメージを膨らませ、膨らんだイメージに従って、物語がどんどん発展していきます。そんな中で、アーネスト・ヘミングウェイに就いて触れられた箇所がありました。
『遊び人の肖像』「……――1918年5月はじめ。19歳のときだ。彼はイタリアの赤十字に入るつもりでいる。目が悪いのに、受け入れてくれたから。ニューヨークでCGTつまりトランザトランティック郵船会社の『シカゴ丸』に乗り込んだ。シカゴ郊外のオーク・パーク、ボルドー、イタリアというわけ……。彼の言葉でなんとなく気に入っているのがあるんだ。『アフリカの緑の丘』のなかだったと思うけれど、《そしていつでもイタリア。どんな書物よりイタリアのほうがよかった。》『河を渡って木立のなかへ』は読んだ?
――いいえ。面白い?
――とっても。ほとんど対話だけで書かれているんだ。五十歳のアメリカ軍大佐とごく若い娘の。舞台はヴェネツィア。
――彼は自殺したの?
――リチャードソン社の連発カラビンでね。銀の象眼装飾のある銃で。
――どこで。
――アイダホ州サン・ヴァレー近くのケッチャム。1961年7月2日。
……
――そうなんだよ、《Je vous salue Marie, pleine de gra’ce》(私はあなたを讃えます、恩寵に満ちたマリアさま)が、突然、全文、白地に黒と書かれ、印刷されて出てくるんだよ。1934年、ある人がシーダーと白樫造りのヨットをとくにヘミングウェイのために建造してプレゼントしたとき、サラゴサにある聖母のための聖廟の思い出に彼はそれを《ピラール号》と命名する。『河を渡って木立のなかへ』という表題は、南軍の将軍ストーンウェル・ジャクソンが1863年5月10日、この世を去った日に述べた言葉からとられているんだけれども、この作品には実に奇妙な場面がいろいろ出てくるんだ……。

ヒロインのレナータが(現実にはアドリアナという名前で、人から聞いた話では去年自殺したらしいけれども、ヘミングウェイは書物のなかで、彼女のことを心から愛した唯一の女性と言ってるんだが、彼女自身は――もっともこういうことになると皆同じだけれど――彼との関係は純粋にプラトニックなものだったと言い張ってばかりいた。それにしても、彼が彼女のために最後の著作、偉大な弔歌ともいうべき『老人と海』を書きはじめたとき、彼女が彼に会うために母親といっしょにハバナへ出かけているというのは実に奇妙だ)、

とにかくそのレナータがいつも大佐の負傷した手に触れたがっていて、祖母の持ち物だった、さらにさかのぼれば祖母の母親の、さらにその母親のというふうに、代々受け継がれてきたエメラルドを彼にプレゼントする……。そしてそのあとのくだりが、僕を魅了する……。
……
――美しい文章ね、とジョーンが言う。ジョイスはこれを引用していたんですって? そしてヘミングウェイも、ジョイスが引用していたと言いながら、同じ言葉を引用しているわけ?
――そういうわけ。しかも『河を渡って木立のなかへ』では、ヴェネツィアで、大佐の口からその断片を言わせている。つまりトリエステのすぐそばで。大佐はトリエステに通じる道のあたりで鴨猟をしたあと(雄鴨を呼び寄せるために使われる雌鴨、いわゆる《おとりの雌》の話については、言いたいことがたくさんあるんだが)、心臓発作で死ぬことになっている。
――トリエステって、なにか関係があるの?
――ジョイスが『ユリシーズ』の大部分を書いた町なんだよ。 ……」

ソレルスは、自分の事を《ディアマンまたの名ソレルス、ボルドー生まれのヴェネツィア人》と称していますから、よっぽどヴェネツィアが好きなのでしょう。ソレルスについては2011.09.17日でフィリップ・ソレルス(1)で、またヘミングウェイの『河を渡って木立のなかへ』については2009.08.15日のヘミングウェイ(1)と2009.08.22日の(2)で触れました。
  1. 2015/03/12(木) 00:06:45|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<文学に表れたヴェネツィア――河東碧梧桐 | ホーム | Ca' d'Oro[カ・ドーロ、黄金の館](2)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア