イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: モロジーニ・サグレード館(3)

(続き)
E.W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は、更にサグレード家について次のように語っています。
モロジーニ・サグレード館「サグレード家がヴェネツィアに到来したのは840年のことで、1100年には大評議会に登院することを許されている。11世紀にはサンタ・テルニータ(伊語はSanta Ternita')教会を建てた。その近辺に自宅以外にも色々の住居を所持していた。 [場所はアルセナーレ西のカンポ・ド・ポッツィ北の一角」

彼らの名前は、大切な秘密を所持していた、ということに由来すると言われている。

初めから後背地やダルマツィアとの木材の商いに携わって、他の貴族達がオリエントの交易で被ったような莫大な損失に遭遇することはなかった。その富は1700年代になっても評判になるほどのもので、1674年に選出された総督ニコロの家系が消滅した時、1678年からヴェネツィア総大司教であった兄弟のアルヴィーゼには子孫がなく、一家の財産と先祖伝来の館は他の分家に移ってしまった。

ヴェネツィアが得た著名な外交官の中にジョヴァンニの名が思い起こされる。彼はその能力のお陰で、一家の紋章の黄金の地の中の赤い帯の上に、フランス王家の百合を埋め込む名誉を得た。

一家は1871年のアゴスティーノ伯爵の死で絶えた。

一家について有名な笑い話が伝わっている。ブレンタ川のヴィッラでの友人が被った賭事のことである。ワインが潤沢に振舞われ、夕食は楽しく、且つ凄いご馳走だったが、ひどく懐疑主義的若者にある事が言われた、この館は時々幽霊に見舞わられることがあるんですよ、と。

夜、その若者は騒音とぞっとするような叫び声で目が覚めた。ベッドが激しく動き始め、上掛けがベッド下に滑り落ちた。それだけではなく、鬼火が彼に向かって飛んできた。彼の恐怖の叫びで友人達の哄笑が沸き起こった。

明かりが点いた時、彼は理解した、鬼火は何匹かの烏賊の尻尾に付けられた小さな明かりだった、と。」
  1. 2015/04/09(木) 10:10:06|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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