イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――斎藤茂吉(1)

『世界紀行文學全集 5 イタリア』(修道社、昭和四十六年九月三十日)の中、斎藤茂吉が書いた旅行記は『三田文学』(大正一五年八月号)に掲載した《ヴェネチア雑記》です。その冒頭は次のように始まります。
世界紀行文学全集「もう追憶になったが、あのゴンドラに乗って漕ぎ出したのは、夏の太陽の落ちかかった頃であった。漕いで行く水は運河で、これが Canal Grande(カナアル グランデ)である。そのへんの家並の窓から美しい絨毯の大きいようなものが垂れている。それにはいろいろな模様があって、欧羅巴人がよく云う東方風(オリエント)の図柄である。

なるほど、ヴェネチアというところは面白いところだと僕はゴンドラの中でひとり思っていた。旅人の心を余計に旅人らしくさせると思ったのである。そのうち、運河の大きいのから、細い側道へ這入って行った。そこの水路は細いが、ゴンドラが向こうから来てもこちらで何とか答えながら行違うことが出来る。

水は海の水だから蒼く澄んでいる。たまには玩具の笛のようなものが流れていたり、青い海藻が浮いていたりする。左右の家々はもう古びて穢い。そして、水から直ぐ家になっている。そういう古い小さな家の窓からも、その家相応な小さな絨毯ようの幕がさがっていた。

エキゾーチックという言葉は、僕の留学地の欧羅巴では余り強く感じなかったが、今日のヴェネチアのゆうぐれに僕は強く此の語の持つ語感を身におぼえたのであった。

たとえば、ピエル・ロチあたりでも、深く入りくんだ長崎の港に船が入って来て、船で鳴らす汽笛が港を甲(よろ)うている群山に反響(こだま)し、その長い音が浦上村の方へ消えて行ってしまう。大浦から稲佐の家々が見えて来る。唐寺の紅い門が見え出して来る。そういう時の気持と相通うものがあったのかもしれぬ。

そのうちゴンドラは二たび、大きな運河へ出た。眼界が広くなって、大きな建物が運河の両岸に聳えている。その建物はいろいろの色に塗ってあり、その窓からやはり絨毯の大きいのが垂れていた。

これらの建物の幾つかは皆由緒のあるもので、案内書には委しく書いてあるが、僕はそういうものを読もうともせずに垂れさがっている絨毯を見ていた。……」
 ――『世界紀行文學全集 5 イタリア』《ヴェネチア雑記》(斎藤茂吉、修道社、昭和四十六年九月三十日)より [(2)へ続く]
  1. 2015/06/11(木) 00:01:17|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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