イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: スミス・マンジッリ-ヴァルマラーナ館他

ミキエール・デッレ・コロンネ館を通り過ぎると隣にはミキエール小館があり、更にミキエール・デル・ブルザ(Michiel del Brusa`)館があります。E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のような事を述べています。
マンジッリ・ヴァルマラーナ・スミス館他「1774年の火事で損傷を受けたため、こう呼ばれるゴシック様式の建物[ヴェ語 brusa`=伊語 casa bruciata]。3年後、共和国の財政援助で再建なり、グァラーナの手で装飾が施された。中央の美しい四連窓とその両脇に従えた、花形のオジーブ式一面窓2面で、持て囃された。」

更にその右隣にはスミス・マンジッリ-ヴァルマラーナ館があります。その館について、E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように書いています。

「イギリスのジョージ3世に豊富で貴重なコレクション――特にカナレットとピアッツェッタの作品――を売った有名な美術品鑑定家であり、イギリスの外交官ジョゼフ・スミスが住んだので、〝大使の″と通称された。収集品は現在、イギリス・ウィンザー城の王立コレクションにある。

1743~51年、彼はアントーニオ・ビゼンティーニにそれ以前に存在していた建物を一新させた。その最初の2階3階の新古典様式の美しいファサードは、彼の手になるものであった。ピアーノ・ノービレの窓のように、1階の大門はティンパヌムを持つ小礼拝堂風門であり、窓は楣(まぐさ)式構造を支える、対になったコンポジット式の扶壁柱の列がファサードをリズミックに強調している。

最上階とその下の階は、次の所有者となったジュゼッペ・マンジッリが増築したものである。彼は1784年内部を更に最新の物にしたいと考え、フェニーチェ劇場の建築家ジャンアントーニオ・セルヴァの趣味に委ねた。彼の手入れのお陰で、ネオ・クラッシックの豪奢な室内装飾が実現した。その中には今日でも保存されている、非常に価値の高い物がある。

館は次いでヴァルマラーナ家の手に渡った。ヴィチェンツァの裕福な貴族である。神聖ローマ皇帝コンラート2世(Corrado Ⅱ)が1031年より伯爵位を授けた。……」

ジョゼフ・スミスとアントーニオ・ヴィゼンティーニの関係については、2012.10.13~10.20日のヴィゼンティーニ(1,2)で触れています。ご参考までに。
  1. 2015/07/02(木) 00:05:09|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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