イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ダ・モスト館(Ca' da Mosto)

スミス・マンジッリ・ヴァルマラーナ館の右はサンティ・アポーストリ運河で、更に17世紀の一般住宅ザーゴの家となり、その右にダ・モスト館があります。R. ルッソ著『ヴェネツィアの館』(1998)はこの館について次のように述べています。
ドルフィーン館「この建物については、ジョン・ラスキンが定義したように《最もシンプルにして豪華且つ表現力を備えた館、最もオリジナリティを完璧に残すもの》という文言が記憶されるが、特に1432年生まれの著名な航海者にして探検家であったアルヴィーゼ・ダ・モストに遡る。

22歳の時マルコ・ゼーノ艦長の商艦のガレー船に乗り組んで船出した。そしてポルトガルのヴィセンテ(Vincenzo)岬で、エンリケ(Enrico)航海王子に会った。彼に快速帆船カラヴェル船の指揮を頼むためであった。この船でアルヴィーゼはアフリカの西海岸を進み、セネガルやカナリア諸島を探検し、その後ジェーノヴァ人アントニオット・ウゾディマーレと共に、ガンビア河口に到達し、カボ・ヴェルデ(Capo Verde)の島々を発見した。

商人としてアフリカ(ナイジェリア)のラゴスに7年滞在した後、ヴェネツィアに戻り、エリザベッタ・ヴェニエールと結婚した。多分1488年この建物で亡くなった。

ヴェーネト・ビザンティン様式のこの建物の建築は13世紀に遡り、上の階の2層はそれぞれ17世紀と18世紀に増築されたもの。しかしダ・モスト家の所有については、1400年代の資料からのみ記述が登場する。この一家は17世紀初めに消滅し、建物は色々の所有者に分割されたが、ズアンネ・ジャリーンが借り受け、ホテル白獅子館(albergo Leon Bianco)を始めた。

町を訪れた非常に高名な人が宿泊した。1700年代後半神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ(Giuseppe)2世が二度訪れた。1782年にはロシア女帝エカチェリナ(Caterina)2世の息子パーヴェル(Paolo)・ペトロヴィチ皇子とその妃マリーヤ(Maria)・フェオドロヴナが訪れた。

ヴェネツィア共和国滅亡後は、この館の歴史は、Leon Bianco の名前が1800年代半ばに発見された程度で、よく分かっていない。」
  1. 2015/08/13(木) 00:03:22|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの建物: ドルフィーン(Casa Dolfin)館 | ホーム | 大運河で水浴>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア