イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――牧野英一

『世界紀行文學全集 イタリア』(修道社、昭和四十六年九月三十日)の中に、法学者牧野英一の『海を渡りて野をわたりて』(日本評論社、昭和二年一一月)からの《マルコの広場》という一篇が取り上げられています。そこからの引用を掲げます。
世界紀行文学全集「二月二十四日 ヴェニスにて
広いバルカンの野をよぎってイタリヤに入る。トリエステにては霧ふかくしてアドリヤチック見えず。例の長い橋をわたって、朝ヴェニスに着くと、うすもやのなかの寺々のさまに、まさしく見おぼえがある。とおい鐘の音、ちかい鐘の音、曾て聞いたおぼえのある鐘の音が、曾て見たことのおぼえある寺々からひびいている。
……
ヴェニスに来ての兎も角もの仕事は、まず、サン・マルコの御寺へまいるということでなければならぬ。信仰あつきヴェニスの人々が、サン・マルコを念じつつ、地中海をわが海として東に西に漕ぎまわってから、はや千年ちかく経ている。その東から西からあまたの珍宝をもたらして、ヴェニスの人々は、マルコの御寺をかざったモザイックの金色(こんじき)のきらめき、大理石のかがやきのめでたさ。マルコの御寺は斯ようにしてできたのである。
……
斯くして、サン・マルコの御寺にとなりして、ドージュの御殿ができた。マルコの御寺をおがんだのち、わたくしはドージュの御殿をひとまわりした。
 
マルコの御寺は、はじめ九世紀頃にできたのが、追々に拡大され修築されて今日のものとなった。ヴェニスの人々は、海外の到るところから、貴いもの珍らしいものを舶載してマルコの御寺をかざった。

ビザンチン式の屋根とゴシック式のかざりとが、いろいろに取り合わされている。門の上に在る大きな馬はビザンスのヒッポドロームから持って来たものであるとか、ひとつひとつの柱、ひとつひとつの彫像にも深いいわれがあるのである。

ドージュの御殿もおなじく九世紀頃からはじまった。そこにも各地から集められたいろいろの材料が用いられて、追々に拡大され修築された。十世紀頃には城壁を以て囲んだものであったとかいうのであるが、修築を重ねるうちに、いつのまにか、ただの御殿になった。

フローレンスでも、シエナでも、昔の政庁は城塞の形にできている。しかし、ここでは、全く平和を象徴して御殿ができたというのが、ヴェニスの特色であるとされている。 ……」
  1. 2015/09/10(木) 00:02:12|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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