イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

チヴィタヴェッキア行

ヴェネツィア・フィレンツェの後、10月6、7日チヴィタヴェッキアに滞在しました。チヴィタヴェッキアという町をご存じでしょうか? イタリア映画好きの人はご存知かも知れません。『スプレンドール』(1989)や『イル・ポスティーノ』(1994)の、ナーポリ生まれの名優マッシモ・トロイージ(享年42歳、息子役)がマストロイアンニ(享年73歳、父親役)と共演した映画『Che ora e`?(バールに灯ともる頃)』(1989)の舞台となった町です。二人の名優は既に故人です。懐かしいです。

この町は先ず、長谷川路可画伯が修復した日本聖二十六殉教者教会で日本では知られているでしょう。私がかつてローマのイル・ジェズ教会で見た磔刑図が、『地球の歩き方 ローマ』に26殉教者の絵とガイドされてあり、今までそれを信じ込んでいました。当然長谷川画伯はそれを参考にこの教会を修復・描出されたものと思い込み、ブログを書いてきました。それは間違いで、イル・ジェズ教会の絵は、1622年の《元和の大殉教》と言われた、秀忠の命で長崎西坂で火刑と斬首で亡くなった55人の信者達の絵だそうです。
聖殉教者教会パンフ1聖殉教者教会パンフ2パンフ内側1パンフ内側 日本聖殉教者教会裏面一方聖26殉教者の方は、1597年日本初、長崎西坂で磔刑により殉教者を出した時のものを、路可画伯がこの教会に描かれました。それは支倉常長が1615年ローマに向けて下船した地であったことが画伯の頭にあったからでしょう、祭壇天井に常長の肖像が描かれていました。
聖26殉教者教会祭壇支倉常長像また港近くグリエルモ・マルコーニ通りリヴォルノ門傍の広場に支倉常長の銅像があり、彼が太平洋を渡り、メキシコを横断し、大西洋を越え、スペインからローマへ至り、再び帰国して行った道程も石碑に刻まれてありました。現在この町は、常長が船出した石巻市と姉妹都市となっています。常長は3・11のように1611年の大津波で大被害を受けた東北を、メキシコとの貿易で再興したいという伊達政宗の意向を受けて太平洋を渡ったのだそうです。
支倉常長銅像碑文常長の航跡支倉常長が1615年10月18日、ローマを来訪するために上陸したのがイタリアの港町、チヴィタヴェッキアだったということで、1613年10月28日(慶長18年9月15日)に石巻の月浦湊を出立して2年後の事でした。今年の10月で400年記念になります。チヴィタヴェッキア市のサイトに次のような事が掲載されていましたので、訳してみました。

「10月18日はヨーロッパへの日本の最初の使節が、ローマを目指してチヴィタヴェッキア港に上陸した記念日である。オドアルド・トーティ博士の書『チヴィタヴェッキアの歴史』の中で語られているように、仙台藩の大名、伊達政宗の使節であり、家来であった支倉常長は、教皇庁に赴くためにイタリアの地を踏んだ。教皇庁ではパウルス5世がクィリナーレ宮に招いた。この歴史的な使節は、コラッツィエーリの間で今でも見られるフレスコ画がその証明となっている。そこには日本人支倉常長とフランチェスコ派神父ルイス・ソテロが描かれている。

今日ローマのヴィットーリオ・エマヌエーレと名付けられた通りを長い行列で進み、聖庁に招じ入れられた。ヨーロッパ人が日本人に出会った最初の事であり、この時を祈念しながら丸2年の旅をした。石巻・月浦港から1613年サン・ファン・バウティスタ号(S.Giovanni Battista)に乗船して出発した。太平洋横断、パナマでガレオネス(Galeone)船下船、大西洋横断のためパナマ地峡を徒歩で進み、スペインのサンルカル・デ・バラメーダ(Sanlucar de Barrameda)に着。その後各地を経て、チヴィタヴェッキアに到着した。

古いガレオン船(Galeone)と同大の船の再建は、支倉常長の派遣に触発されて全ての町の長ら参加の下、1993年石巻で始まった。それは2011年この地方を襲った破壊的な大津波にも耐えた。今や我々は準備万端である。彼らはチヴィタヴェッキアに姉妹都市提携で派遣されて来た。我々は日本の姉妹都市と連絡を取った。2012年10月11日、市長ティデーイは石巻市長に書簡を送り、この古くからの絆を維持進めることを再確認した。

来年2013年の重要記念日を待ちながら、今年は文化的行事を鑑み、この記念日を祝うだろう。その日は支倉常長が日本を出発して400年なのである。他の町の同郷人も記憶しているだろうが、1991年10月18日ここで行われたもの、個人的にはまた一つのパレードを胸に懐いている。1615年には仙台からの侍達がマルコーニ通りを行進したのだが、その時彼らは長旅の後、古い絆の火を再度点火しようと望んだのだった。

姉妹都市提携は先ず我々の心に生きている。かくも異なった、遠国の人と文化的友好関係を強めようという意志と興味を持って、ヨーロッパ共同体の姉妹都市事務局長のジャン・ベレットは言う: 多くの人がカンパニリズモの中にあって、狭い料簡に閉じ籠ったままである。こうした殻を壊し、他国との類似の競争意識を破ることが必要である。必要なのは、市民が広がっていく世界認識の中で地域の生活を強化しながら、目覚める事。これが姉妹都市提携の最終目的である。」
  1. 2015/10/17(土) 00:08:00|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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