コンメーディア・デッラルテ(2)

ベアトリスに紹介されたベッタ(Elisabetta)は、初めて出会った時は絞りの羽織を着て現れ、驚きました。日本の着物が好きだと言っていました。

ミラーノ生れの製本家で、トリーノで製本の技術を教える学校で先生をしている人でした。大変なお喋りで、自分のことを attaccabottoni(他人のボタンを糸で付け終るまで離さないという意味で、大変なお喋りのこと)だと言い、ヴァポレットの中でも、直ぐに隣に座った人に話し掛け、口が動き始めると止まりません。

彼女はヴァカンスでヴェネツィアに来訪、ジュデッカ島に部屋を借りていていました。前回書いたVDVの夏の演劇祭の一環で、"Calli e Campielli" という隠されたジュデッカ島の再発見という演劇的パフォーマンスがあるから、来ないかと彼女に誘われ、ジュデッカ運河を渡りました。

すっかり暗くなると、コンメーディア・デッラルテのアルレッキーノとドットーレの案内で島巡りが始まりました。あちこちに篝火や照明が点けてあり、ある場所でアルレッキーノの語りと演戯があります。

Corto Maltese という名の人物は、"Corto Sconto"等のヴェネツィア・ガイドでヴェネツィアでは著名の案内人のようですが、彼に扮した役者が現れた場所では、火吹き男や踊り手の演戯がありました。

長い狭い通りを抜けていくと、ジャーコモ・カザノーヴァ所縁の修道院があり、普段は入れないこの中庭に既に照明が施され、幻想的な雰囲気が醸し出されています。カザノーヴァ所縁の修道女の語りがあり、獣に扮した仮面の男女の異教的な舞踊が披露されました。

最後に案内されたのは、ユンガンス(Junghans)広場にあるパンタスキン一座の劇場前でした。劇場の3階から2本の布を垂らし、アクロバットの役者がその布の中からそれぞれ現れ、宙空で二人揃って軽業的ダンスを披露します。

パフォーマンスが終わると、広場一角に宴席が設けられ、この催しに付き合った人々にワインやチケーティのサーヴィスがありました。こういう夏の宵の温かなもてなしって嬉しいですね。コンメーディア・デッラルテのパンタスキン座を知ったのはこんな経緯でした(かつてアヴォガーリア通りにコンメーディア・デッラルテ一座を探しましたが、発見出来ませんでした)。

場所が分かったので、改めてコンメーディア・デッラルテを見に行きました。8ユーロと入場料が格安なのは、サン・マルコ区のサン・ベネデット教会傍のペーザロ館「フォルトゥーニ(Fortuny)美術館」のジュデッカ島にあるフォルトゥーニの布工場が資金援助をしているからだそうです。

題して"Arlecchino/Don Giovanni"。この芝居はパリのテアトル・イタリアンで1697年まで何度となく再演を繰り返し、その後1716年からコメディ・イタリエンヌ劇場でルイージ・リッコボーニによって板に乗せられるという、大成功を収めた劇作品なのだそうです。

私のこの種の演劇体験は1995年の夏、日本での第11回「東京の夏」音楽祭での、仏人カウンターテナー、ドミニク・ヴィス一行の『マドリガル・コメディ』という仮面音楽芝居を新大久保のパナソニック・グローブ座で見たのが嚆矢でした。これはオラーツィオ・ヴェッキ作曲『アンフィパルナーゾ』やアドリアーノ・バンキエーリの『ヴェネツィアからパードヴァへの船旅』を元に作られた、コンメーディア・デッラルテのキャラクターを使った仮面音楽劇で、綱の曲芸まである楽しいものでした。

この年の9月、フェッルッチョ・ソレーリが来日しました。鎌倉芸術館大ホールで催されたそれは、ゴルドーニの『二人の主人を一度に持つと』の別ヴァージョンでした。彼の鍛え抜かれた肉体が若々しくトンボまで切り、そのスピードとリズムある演技は感動的でした。

そして1999年にはミラーノのピッコロ座としてのソレーリの『二人の主人を一度に持つと』がやって来ました。コンメーディア・デッラルテの即興性は皆無とは言え(見ているとそれを感じてしまう)、ジョルジョ・ストレーレルの計算し尽くされた演出でのアルレッキーノやパンタローネで、大変刺激的な素晴らしい演技は筆舌に尽くし難いものがありました(それと前後してソレーリの演技の絵解のサーヴィスもあり、大変勉強になりました)。

以来、私のコンメーディア・デッラルテ狂いが始まりました。


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