イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ローマの支倉常長一行(3)

(続き)
「旅の期間中、そしてローマ滞在中ずっと、政宗の使節達にはイエズス会の書簡や報告書が、後になり先になり付き纏っていた。この客人達は安心するように守られてはいたが、イエズス会は、支倉常長は日本の皇帝(家康)の使節ではなく、〝その臣下である政宗と呼ばれる、ある藩主″の使節だとはっきり述べ、《この使節は仮面で偽装した連中であり、かの地のパードレ達がこの事全てを既に報告しており、この卑俗なフランシスコ派のパードレ達は従者で女衒でしかない》と述べている。
パウルス5世像伊達政宗政宗、ソテロ、常長支倉常長他支倉常長銅像[左、サンタ・マリーア・マッジョーレ大聖堂聖具室のパウルス5世、中左、独眼竜でない伊達政宗、中中央『伊達政宗、ルイス・ソテロ、支倉常長』仙台藩御用絵師、佐久間晴嶽の長男・佐久間得楼(?、1841-90)画、中右、ローマ、大統領官邸の『ソテロ、常長他』、右、チヴィタヴェッキアの常長銅像(サイトから借用)]
この表現(ソテロがストイックに殉教者となる事を我々は後に見る)は、今や望みなき状況に直面することになる、日本に残るイエズス会士の激しい不安を考慮しても、これは強烈に事実を捻じ曲げたものである。

この意味で違った証言としては、ソテロと常長が日本の港を出発するちょっと前の1613年10月5日の書簡がある。即ち、日本にいた司教からイエズス会のパードレ長に向けてのもの。1615年10月当時、イタリアとスペインの宮廷では既によく知られた物。

《福音書や当局、教皇庁を軽んじているやも知れぬ派遣団に、教皇聖下におかれましては、正しい情報不備のため何かが起こらないように》とパードレ長は書簡で前もって知らせるように求めている。

日本国内の事情を知らない連中の激しい非難は、多くの場合、過度になり勝ちで、少なくともローマの公文書が書いているように説明不能で、ヴェネツィア共和国の外交団は《この機会、興味ある事は、尊敬すべきイエズス会のパードレ達が、この人物がキリスト教信仰に到達したと述べているのは馬鹿々々しいというよりも不快そのものである》と言っている。

こうした趨勢の中で使節団は、マドリードでもローマでも極端なほどの用心深さでしか受け入れられなかった。というより、両方の土地で支援の要求や仙台から示された友情に対する応対は、時間の浪費だけで、曖昧模糊としており、フェリペ3世からパウルス5世へ、そしてまた教皇からスペイン王へ向かわせるだけで、彼らはますます呆然とし気落ちして、疲労していった。

最後に決定的な返答を貰おうと、ソテロと常長がローマからマドリードへ帰着した時、多分この二人を除いて今や全員が知っている事が、最終的に知らされた。即ちそれは、日本全国で迫害の嵐が吹き荒れて、仙台藩も積極的にそれに参加しており、使節団が祖国へ帰還することも非常に危険だということであった。それにも拘わらず、使節団はマドリードを出発し、全員自覚的に自分達の不幸な、色々な運命に立ち向かった。

伊達政宗の使節団の結末はいかなるものであったか。しかしながらこの使節団が静かな生活の中で、また多分遥か向こうの、かつての数年のローマでの単調な生活の中で、格別の事を成し遂げたことは否定出来ないのである。恐らく多くの人達は、グレゴリウス13世の時代、30年ほど前のこと、日本からやって来た人々の記念すべき、もう一つの歩みを思い出していた。

その時全ては丸で異なった展開で、日本の少年達は訪れた多くの宮廷で満腔の敬意で、率直に歓迎され、疑念一つとてなく、ただ示されたのは好奇心と敬愛の情だった。

しかし今回は、支倉の実際の姿も好意を持って描かれなかった。《器量の人というより、中流以下の者。黒い肌で太った、四角い顔で髭を剃り、髪を三つ編みにした46歳の男……》

しかしこの出来事の特異性により、印刷された幾つかの書物では、例えばジェーノヴァ外交団の種々の見解、とりわけヴェネツィア共和国のもの、更に沢山の証言で称賛されて、無意味となったローマ滞在の殆ど毎日の記録を再構成することが出来る。

今や人々は、そうした文献を照合しながら、出来るだけ信頼置ける、徹底的な再構成に取り組み始めている。この事件を正確に位置付けるために、パウルス5世の一般政策教書の中で、偶然にもクリスティーナ・ヘーアマン=フィオーレ(K.Herrmann -Fiore)が提供した他の多くのデータは、この書の中でも使用されている。 ……」
――2013.11.27日に書きました支倉常長も参考までに。
  1. 2015/11/12(木) 00:05:06|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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