イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ガリバルディ通りの幽霊(1)

今までヴェネツィアの幽霊話を幾つか取り上げました。サン・マルコ区の、私が初めて語学校通学のために借りたアパート、旧モチェニーゴ館の中庭に2月17日の夜、出没すると言われている、哲学者ジョルダーノ・ブルーノの幽霊。大聖年の2000年2月17日ブルーノ焚刑400年記念日、朝方までワインを飲みながら、時々中庭を覗きましたが、誰にも出会えませんでした。二つ目がミゼリコルディア湾の外れに建つカジーン・デイ・スピーリティに現れるという、画家ピエートロ・ルッツォ(渾名モルト・ダ・フェルトレ)の幽霊。三つ目がカンナレージョ区レメール小広場の大運河に浮かび上がると言われているフォースコ・ロレダーンの幽霊。

これまで2012.12.15日の古モチェニーゴ館、2011.11.05日のコンタリーニ・ダル・ザッフォ館、2015.07.09日のレメール小広場でそれぞれで書きました。今回はカステッロ区のヴェネツィア一広い大通り、イタリアの英雄ガリバルディの名を冠したガリバルディ大通りの幽霊です。マルチェッロ・ブルゼガーン著『ヴェネツィアの神話伝説』(Newton Compton Editori、2007年10月)から紹介してみます。
地図A
地図B「カステッロ区に1807年頃作られた美しくて広い道、リーオ・テラ(運河埋め立て通り)であるガリバルディ大通りから左へ、セッテ・マルティリ海岸通り(とRiva dei Partigiani)方向に続く大並木通りが枝分かれし、カステッロ区の大庭園へと続く。

並木通りの初めの部分には、建築家ジャンアントーニオ・セルヴァ作の美しいエクセドラ(上部が半ドームの半円形の建築物)が直ぐ背後に控え、統一イタリア陸軍の生みの親の堅固なモニュメント、即ち二つの世界の英雄ジュゼッペ・ガリバルディが建ち上がっている。

1885年のアウグースト・ベンヴェヌーティ作の彫塑作品は、3体のブロンズで的確に彫られたものであり、円形の槽の水面から浮かび出た岩塊の上に置かれ、幽霊伝説を喚起するかの如きである。その伝説は今でも地域住民の間に伝播してきたものであるが、霊媒体から発散する心霊体はもはや現れないという結論に至ったのかも知れない。

事は極近年に起きた。正確には1921年、あるヴィニーチョ・サルヴィとかいう男が、いつものスコールが止んだ後、蝸牛を探しに庭園に行った時のことである。サルヴィが彫像の傍に近付いた時、強いショックと腕をグイッと引っ張られるのを感じた。余りに激しく、不意だったので、地面に引き倒された。

立ち上がった時、彼が《赤い影(ombra rossa)》と結論付けた物を見たが、直ぐに消えた。

その事が彼の友人や知人の耳に届いた時、皆は彼が見たその《赤い影(ombra rossa)》とは、彼がしょっちゅう行く近くの居酒屋(バーカロ)の《赤い影(ombre rosse)》[=バーカロで飲む赤ワインをヴェネツィアではオンブラ・ロッサと言います]だと言って、彼を揶揄い始めた。」――(2)に続く
  1. 2015/12/10(木) 00:02:38|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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