イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ガリバルディ通りの幽霊(2)

(続き)
「この事は直ぐに忘れられてしまったが、数週間後の事、この彫像の傍に近付いた若いカップルが、赤い影に脅かされた。引き続いて別の人もそんな事に遭遇した。そうした人々の中には、頭を打たれ、怪我をした人もあった。
Marcello Brusegan『ヴェネツィアの神話と伝説』このエピソードがある不安を引き起こし始めた。そうしてこの地区の住民は、ある種の警戒パトロールをすることを決めた。監視員達は、誰か悪ふざけをする者を取り押さえて、止めさせようと願った。しかし監視員の誰かが彫像に接近した時、例の赤い影が彼を後ろへすッ転がした。

しかしこの時は、直ぐ様消え去ることがなく、目前に、正に赤い上着の軍服姿のガリバルディの像という形となって顕れた。この瞬間、誰もこの人物が分からなかったが、全員一瞬精神的混乱の後、ある声が上がった。《ジュゼッペだ、ジュゼッペ・ゾッリだ》 1838年生まれのあの若いヴェネツィア人。

彼は志願兵として千人隊の遠征に参加し、出発したのだった。そして将軍ジュゼッペ・ガリバルディの双肩を、その死後も見詰め、威風堂々、有望な兵士だった。
マッキアイオーリジュゼッペ・ガリバルディ[左、2010.01.16-03.14日東京都庭園美術館であった『イタリアの印象派 マッキアイオーリ』展の図録。右、その時来日したシルヴェストロ・レーガ画『ジュゼッペ・ガリバルディの肖像』。マッキアイオーリ派については下記をご参照下さい]
伝説は語り続ける。この顕現の後、全ての地域住民はガリバルディの彫像の双肩にもう一つの像、ヴェネツィア人の〝ガリバルディ″の像を追加するよう、圧力を掛け続けた。彼は将軍の像の上で、銃で武装し、警戒怠りない。その時以来、通行人に対する接触は無くなった。

もしかしたら、夜間、銃が一度以上盗まれるのを見たガリバルディの像が、その顕現で通行人達に周知させたのかも知れない。」

『赤い影』という、ヴェネツィアが舞台の英国の恐ろしい、しかし美しい怨霊映画がありました。ヴェネツィア映画で簡単な説明をどうぞ。ヴェネツィアには幽霊話は似合うのかも知れません。

[マッキアイオーリ派: 図録中、権威フランチェスカ・ディーニ氏が22ページに渡って豊饒の解説をされていますが、お急ぎの向きには次の簡潔的確な説明をどうぞ。
――著者: 中島水緒氏: 1850年代半ば、イタリアのリソルジメント(国家統一運動)を背景にトスカーナ地方で生まれた絵画の流派のこと。フィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集った画家たちが時代精神を表わすのにふさわしい新たなリアリズムを愛国主義のもとに標榜。アトリエでの入念な仕上げを説くアカデミズムの教えを放棄し、自然の光を生き生きとした状態で定着させるべく色斑で描写した。

こうした描法は1862年、フィレンツェの新聞『ガゼッタ・デル・ポポロ』により、イタリア語で「しみ」「斑点」を意味する「マッキア(macchia)」に由来する「マッキアイオーリ(macchiaioli)」という造語で揶揄されたが、画家たちはこの呼称をあえて受け入れた。外光への強い関心はフランスの印象派に先立ち、1855年のパリ万国博覧会を通じてもたらされたミレー、コローなどバルビゾン派の作品からの影響がうかがえる。

またマッキアの使用は、16世紀ヴェネツィア派のティツィアーノやジョルジョーネが現実の印象を素早く捉えるのに筆触をあらわに描いたことからもインスピレーションを得ている。独立戦争に参加したメンバーの夭折、1870年のローマ解放による国家統一を経て、当初は政治的色合いの強かったグループも個別の主題に移行。

T・シニョリーニはフィレンツェとその近郊の自然風景を、S・レーガは穏やかな家庭生活と女性像を得意とし、G・ファットーリは統一後も解消されない社会的・経済的格差への幻滅から、質素な農村風景、牛や馬といった家畜を繰り返し描いたほか、単調な仕事に従事する兵士の姿など戦争の裏側にあるもうひとつの現実に眼差しを注いだ。――マッキアイオーリから引用させて頂きました。]
  1. 2015/12/17(木) 00:05:20|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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