イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

書籍『ヴェネツィアの放浪教師』(1)

『ヴェネツィアの放浪教師――中世都市と学校の誕生』(児玉善仁著、平凡社、1993年3月19日)を読みました。公教育が始まる以前の、より多い収入を求め、生徒を求めて、イタリア各地を経巡った《ソロバン》と《文法》を教える、中世の教師です。無名で埋もれた人から、ヒューマニストとして名を馳せた人まで色々です。2011.05.28日のヴェネツィアに触れた本(4)で紹介しました。この本はヴェネツィアのトポロジーを次のように書いています。
『ヴェネツィアの放浪教師』「しかし、中世は違った。当時は船でヴェネツィアに入ったからである。船は、聖マルコ広場の玄関口、ピアッツェッタ(小広場)や、その東のスキアボーニ海岸に着いた。現在では、ヴァポレット(渡し舟)に乗ってリドから聖マルコ広場に帰ってくるときなどに、多少なりともその感じを味わえる。潟の上に浮かぶ石造りの町が、しだいに目の前に細やかな姿を現わし、聖ジョルジョ・マッジョーレを左に見ながら、聖マルコ運河に入るや、繊細な美しさに輝く白亜のドージェ宮殿と、空に向かって突き刺さるように伸びるカンパニーレ(大鐘楼)が目を奪う。

そして、やがてヴェネツィアの象徴である羽の生えたライオンを頂きに冠した、二本の円柱に挟まれたピアッツェッタのそばに、船は吸い込まれるように着いて、町と初めて接触する。それは、遠来の旅人にとって、いきなり優雅にして力強いヴェネツィアの胸に抱かれるような感じを与えただろう。

中世の放浪教師たちも、このようにしてヴェネツィアにやってきた。さまざまな国の人々や、東方の珍しいものが豊かに溢れる大都会ヴェネツィアに、過酷な生存競争が待ち受けているとは夢想だにすることもなく、やってきたのである。

カンパニーレを抱く聖マルコ広場と、それに接する聖マルコ教会やピアッツェッタ、そしてドージェ宮殿が、ヴェネツィアの中心部である。ことに、ドージェ宮殿では、大評議会や元老院の会議が開かれ、ここはまさしくヴェネツィア政治の心臓部となっていた。しかし、オリエント風の壮麗な聖マルコ教会があるとはいえ、そこは決して宗教的な中心ではなかった。この教会は司教座聖堂ではなく、ドージェの個人的な礼拝堂にすぎなかったのである。

外来の放浪教師たちは、まずこのことに驚いたに違いない。というのも、中世に形成された都市を歩くとすぐにわかることだが、一般に都市の中心部に広場があって、その広場の周りに市庁舎と聖堂が位置している町が多い。つまり、都市の中心部に文化的・政治的・宗教的コアが集中していることが多いのである。

ところが、ヴェネツィアは違う。ここではそれぞれのコアが分散している。おまけに、宗教的なコアであるはずの司教座聖堂の影が著しく薄かったのである。

ヴェネツィアの司教座聖堂は、今日でも観光客がほとんど訪れないような町外れに位置している。聖マルコ広場から、東に向かって家々の間の迷路のような小路を歩いていくと、やがて巨大なアルセナーレ(国営造船所)に着く。ヴェネツィアの海軍力を支えた造船軍需産業の中心である。この産業コアからさらに先にある聖ピエトロ・ディ・カステッロ教会が司教座聖堂で、大司教もここにいた。ヴェネツィアの東端である。

この司教座の位置が、ヴェネツィアにおける宗教権力の位置を象徴している。つまり、普遍的な権力である教会権力が地方の政治権力によって完全に屈服させられ、都市の政治的・行政的な機能から排除されていたのである。、その意味では、ヴェネツィアには宗教的なコアは無きに等しかったといってよい。司教座などなくとも、必要な場合にはドージェの個人的な礼拝堂であった聖マルコ教会が、政治的な意向を汲んで立派に役割を果たしたのである。

残る商業のコアは、どこにあったのだろうか。聖マルコ広場から、時計塔の下をくぐって、北に向かって歩くとすぐに、リアルト橋に出る。この橋は、ヴェネツィアを東西に二分する大運河にかかる唯一の橋であった。この橋を渡った一帯をリアルトと呼び、ここに市場があって、ヴェネツィアの物流の拠点をなしていた。また、周辺の島々も、墓地としてのトルチェッロ、ガラス産業のムラーノなど、都市の機能的分化が進んでいたのである。 ……」 ――(2)へ続く
  1. 2015/12/24(木) 00:04:17|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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