イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

書籍『ヴェネツィアの放浪教師』(4)

(続き)
「一四四三年には大評議会が前述の書記官庁の学校を設立して《文法、修辞学、及び書記官職を営むに適した他の知識と筆記法》を教授させた。現実に、この年に一二名の学生が選ばれて、勉学のための給与が支給されている。これらの学生は、給与が支給されている点からして、書記官庁の官吏に準ずる扱いであったようである。
『ヴェネツィアの放浪教師』しかし元老院は《多くの者が学校に通わないし、通おうともしない》と判断して、より多くの学生がこの学校で学ぶように、一四四六年に学校の設置を再度布告した。その結果、給与支給なしに自発的に学ぶ学生が増加し、彼らは無償で学校に通えることになったのである。

この学校は、明確に書記官庁の官吏養成のための学校として設立されている。それも、一定の数の学生には給与が支払われているから、少なくとも設立当初は、書記官庁付属学校の性格を持っていたといえるだろう。しかし、元老院は書記官庁により多くの人材を供給するために、給与なしだが無償で教育を受けられる学生にその門戸を広く開放した。

こうして、多数の人材を書記官庁に供給する教育機関として書記官庁の学校が機能するようになったのである。もちろん、すでに述べたように、官吏になるには市民層でなければならなかったから、この人材養成が市民層を対象にしたものであったことは確かである。

それも、文法や修辞学などの教授内容を見る限り、中級官吏以下の養成を目的にしたものであった。法学知識が必要であった上級官吏は、すでに見たようにパドヴァ大学で養成していたのである。したがって、この学校の設立によって初めて、ヴェネツィアは中級官吏以下の官吏養成に公的に着手したことになるのである。

さらに元老院は、この書記官庁の学校に加えて、一四六〇年に《詩・雄弁術ないし歴史・人文学》を教える文学の学校を設立した。この学校は書記官庁の学校の上級講座の性格を持ち、ヒューマニズム的教養を教授するものであった。市民層だけでなく貴族の子弟などもそこで学んでいたが、この文学の学校は、基本的に中級から上級の官吏に教養を与えるものであったといえるだろう。
……
さらにまた、商人タレンティが一四〇八年設立した論理学と哲学を教えるリアルトの学校にたいして、一四四五年に政府は教師給与の支出を決定し、学校を公立化している。この学校は、すでに述べたように、商人層の知的教養を高めるために設立され、大学の教養諸学部程度の知識を与えたが、生徒たちは社会階層による制限を受けず、貴族から庶民に至るまでそこで学んでいた。

結局、一五世紀の半ばの二〇年ほどの間に、ヴェネツィアは三つの公的な学校を設立したことになる。一四世紀以前にはほとんど教育を統制しなかったヴェネツィアが、一五世紀初期に獲得したパドヴァ大学にたいする保護育成策と並行しつつ、急速に公的学校を設立・整備したことには注目される。それまで教育の自由放任主義に従っていた都市国家が、方針を転換して公的学校の設立による教育整備をおこないはじめたことを端的に示しているからである。 ……」 ――(5)に続く
  1. 2016/01/14(木) 00:03:40|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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