イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

パードヴァ大学

ボローニャ大学に継いで古い、パードヴァのパードヴァ大学(1222年創立)、またの名を、同地に元々 Bo`[伊語でbue(牛)の意]という名の旅籠が建っていたために、ボ大学とも呼称されるこの大学に、解剖教室(Teatro anatomico)とガリレーオ・ガリレーイが講義した講堂があるというので、見学に行ったことがあります。

構内の壁面に夥しい数の紋章(stemma)が掲げられ、その形、デザイン、色の美しさと面白さに見蕩れてしまいました。ここで学んだ、歴史に名を残す人達の家の物が沢山あるのだそうです。

解剖教室は1594年、アクアペンデンテのファブリキウス(伊名ジローラモ・ファブリーツィオ)が設計して造らせた物だとかで、非常に独特の構造をした楕円形の階段教室で、それはそれは興味深いものでした。TVで見たボローニャ大学の物とは大変趣が違います。

ヴェネツィアにもサン・ジャーコモ・ダ・ローリオ広場(Campo San Giacomo da l'Orio)の一隅に、1671年に建てられた解剖教室の建物が残っています。

『Calli, Campielli e Canali』という地図には次のような事が書かれています。
「古くから医師という職業には解剖学は大変重要であった。1368年には既に大評議会は、医者、外科医に年に1度は解剖現場に立ち会うように定めていた。1669年元老院は医師達に、サン・ジャーコモ・ダ・ローリオ広場に土地を与え、1671年に現実に解剖教室が建てられた。この教室はヨーロッパでも最も美しいものの一つと言われ、3層からなる楕円のその階段教室で、医師達は解剖の実際を観察した。1800年まで活用され、その年の大火で焼失した。直ぐに再建されたが、現在はヴェーネト州が使用している。」

更にガリレーオ・ガリレーイが講義した教室がそのまま残されていると聞くと、あの時代にタイム・スリップしたような陶然とした混乱状態に囚われました。彼が教壇に立ったその教場は、今でも会議等に使用される非常に豪華な物で、大切に維持されているのがよく分かります。

2階のガリレーオのその教場を見学して階段を下りてくると、正面にエーレナ・コルネール・ピスコーピア(Elena Corner Piscopia、1646~84)の白い彫像がありました。彼女はボ大学を卒業(哲学科)した世界初の女性なのだそうです。

ヴェネツィア大運河右岸(サン・マルコ湾を背にして)の、現在市庁舎として使用されている、カルボーン運河通り(Riva del Carbon)の互いに隣合った建物、ロレダーン館=ファルセッティ館の、左側のロレダーン館左の壁面に次のような碑が掲げられています。
エーレナ・ルクレーツィアの碑「ここで1646年、世界で初めて大学を卒業した(1678年6月25日)最初の女性エーレナ・ルクレーツィア・コルナーロ・ピスコーピアが生まれた。」
[コルナーロ(Cornaro)は、コルネール(Corner、ヴェネツィア式)の伊語式呼称]。

当時、多分あったに違いない周囲の偏見の中で自らを完成させた女性が居たと、そこに異様な存在感を感じて、ロレダーン館の脇道、カルボーン通り(Calle del Carbon)を通る度にこの碑文を眺めたものでした。

ロレダーン館の更にリアルト橋寄りには、ダンドロ館があります。コンスタンティノープル(Costantinopoli)を第4次十字軍と共に占領した総督エンリーコ・ダンドロ(1108~1205)が生まれた邸宅で、1523年11月25日の大火で焼失しました。1551年には劇作家で、風刺文学者であったピエートロ・アレティーノ(1492~1556)が引っ越してきました。

日本では彼の『ラジオナメンティ――女のおしゃべり』(結城豊太訳、角川文庫、昭和56年6月30日)が出版されています。辛辣な毒舌家で、恐喝的な文章で権力者達を攻撃し、金品・美術品等を手に入れ、ペンのゆすり屋と称されたそうです。友人だったティツィアーノが『ピエートロ・アレティーノの肖像』(フィレンツェ、ピッティ美術館)を描いています。
ピエートロ・アレティーノの肖像ベンボ像[左、ピエートロ・アレティーノ、右、ピエートロ・ベンボの各像]  更にその左隣には赤いベンボ館があります。詩人・文学者ピエートロ・ベンボ(1470~1544)が生まれた邸館です。ルクレーツィア・ボルジャやカテリーナ・コルナーロの友人でもあった詩人は、ラテン語に代わる文学語としてダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョを生んだトスカーナの言葉をイタリア語として提唱したことで知られています。枢機卿に選ばれるとローマに行き、メディチ家出身のレオ10世に仕え、その地で亡くなりました。墓はローマのサンタ・マリーア・ソープラ・ミネルヴァ教会にあるそうです。ティツィアーノ画『ピエートロ・ベンボの肖像』(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)があります。
  1. 2008/08/31(日) 01:06:21|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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