イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア総督(1)オルセーオロ1世

ルカ・コルフェライ著『図説 ヴェネツィア』(中山悦子訳、河出書房新社、一九九六年一月二五日発行)の巻末年表の《991~1008年》の項は、《ドージェ、ピエトロ・オルセオロ2世の治世。ダルマツィア併合(1000)。サラセン人に勝利(1002~03)》とあります。何年間もの年表を逐一訳す訳にもいきませんので、この期間の総督の略歴で代行致します。

ピエートロ・オルセーオロ1世(976~978在位、928ヴェネツィア~987Cuxa[カタルニアのサン=ミシェル=ド=クシャ])[M.ブルゼガーン『ヴェネツィア人物事典(i Personaggi che hanno fatto grande Venezia)』(Newton Compton Edition、2006.11)]より
『ヴェネツィア人物事典』「ピエートロ・オルセーオロ1世は総督にして聖人。928年ヴェネツィアに生まれた(フリウーリ地方のある歴史家による)、貴族の家系である。妻フェリーチャ・マリピエーロ(バドエールかも知れない)との間に、二人の子供、ピエートロ(彼も総督に就任)とジョヴァンニ・モロズィーニに嫁いだ娘がある。彼は何世紀も前からの、地中海の鼻つまみ者でしかないサラセン海賊に対するヴェネツィア海軍の司令官であった。

この鼻つまみ者は、商船を襲うだけでは満足でなく、しばしば恐ろしくも海岸地帯を襲撃して、略奪と殺戮を繰り返し、略奪品を、特にキリスト教徒を奴隷としてを連れ去った。時には大陸奥深くまで侵入し、獰猛なサラセン海賊到来など思いもよらなかった城や修道院、村落まで襲い掛かって来た。海洋共和国の損害は激しいものであり、海上交易に強くペナルティを課したが、強化するのは無意味で、サラセン海賊に対するために永続的に艦隊を組織せざるを得なかった。

976年ヴェネツィアでは総督宮殿での陰謀が、総督ピエートロ・カンディアーノが殺されるという反乱の形で発生した。それに伴いセレニッスィマ共和国の党派間の厳しい争いが新しく始まろうとしていた。その時、賢明にも中立的な人物を選ぼうという最多数の市民が優勢を占めた。その能力と厳しいモラル故、皆に評価されていた、深いキリスト教信仰の人、ピエートロ・オルセーオロが選ばれる以外はあり得なかったのである。

新総督は期待を裏切ることなく、短期間で町を和解させ、政府の財源を数多くの有益な事や公共の利益に振り向けた。前任者を殺戮した謀反人に壊された、サン・マルコ寺院と総督宮殿を建て直させた。新しい教会の建造のためには資金を惜しまず、貧者の救貧院の建築に自分のポケットマネーまで提供し、サン・マルコの鐘楼傍に建てたのだった。その上、今日サン・マルコ寺院の最高の装飾品である黄金の衝立(Pala d'Oro)の最初の核となる部分をコンスタンティノープルに注文したのは彼だった。

それは”かくも晴朗なる(Serenissimi)"年月だったが、ヴェネツィアがこの有名な愛称《Serenissima》をいとも簡単に使用出来るようになるのは聖人であったこの総督のお陰である。ほんの2年間のことである。というのは、その間、オルセーオロ・ピエートロ1世は別の人生を選んだのだった。

即ち、地上の王国より精神世界の王国を希求し、修道院長グァリーノの影響の下、妻と息子達の許しを得て、ピレネー山麓のクシャ(Cuxa)のベネディクト会修道院で宗教生活を始めたのだった。恒例に従えば、カマルドリ会修道会の創始者のロムアルドゥスの教えは、立っていることも横になることも出来ない狭い空間の独房風の個室に閉じ籠ることだった。
[カマルドリ修道会=1012年ロモアルドゥス(Romualdo)がアレッツォ山中カマルドリに創設したベネディクト会一会派]

大変謙虚で厳しい人柄だったから、神のような霊感を備えていた、と言われる。それ故、クシャ(o Cusanキュザン)で987年1月10日祈りと悔悛の日々が清らかに終わった。続いて聖別され聖人とされ、遺体等の聖遺物はサン・マルコ寺院の宝物の一部となっている。」
  1. 2016/02/18(木) 00:04:10|
  2. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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