イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア総督(4): ピエートロ2世・オルセーオロ

ピエートロ2世・オルセーオロ(在位991~1009、ca961ヴェネツィア~1009ヴェネツィア)について、M.ブルゼガーン著『ヴェネツィア人物事典』(Newton Compton Editori、2006)の紹介は次のようです。
『ヴェネツィア人物事典』「ピエートロ・オルセーオロ2世は、991年から1009年までヴェネツィア共和国第26代総督であり、あらゆる時代の中でも、その職務において最も令名高くして天才的なヴェネツィア軍指導者として重きをなした。ピレネーの修道院に引き籠るため総督職を退位したピエートロ・オルセーオロ1世の息子であり、トリブーノ・メンモを廃位させた人民会議が、彼を総督に選んだ時991年には当時まだ30代という若さだった。

総督就任初年度からピエートロは獅子奮迅の働きを見せると共に外交的には用心深さを示した。即ち、ビザンティンとサラセン、神聖ローマ帝国の若いオットー3世との間を巧妙に乗り切り、ローマ帝国の復興を夢見た。そして結局、息子をビザンティン皇帝の姪に、もう一人の息子を神聖ローマ帝国皇帝の義妹との結婚に漕ぎ着けた。
[このピエートロ2世の息子ジョヴァンニについて面白い挿話がありますので次をご覧下さい。食(1)、フォークについて

しかし彼の最も重要な偉業は、999年か1000年(正確な日付は不明)船団の派遣であった。996年既に彼は、アドリア海沿岸を荒らし回るスラヴ海賊narentani[ナレンターニ人とは、その頃クロアティアのネレトヴァ川(Narenta)周辺に住んだスラヴ人で、この辺り島嶼部を含め、Paganiaと称したそうです]撲滅のための船団を指揮しており、クロアティアのヴィース島(Lissa)で海賊を打ち破った。
サン・マルコ旗[《サン・マルコ獅子旗》イタリアのサイトから借用。右の6ケの長細いひらひらは6セスティエーリ(区)を示します] しかし海賊は、ダルマツィアへ逃れ、現地の住民を圧迫したので、彼らはヴェネツィアに助けを要請した。総督はその機を逃さず、ビザンツの承認を得るや、二回目の大船団のトップとしてキリスト昇天祭の日、出港した。幾つかの史料によれば、この時初めてサン・マルコの獅子旗が翩翻と翻った、という。 ……」 (続く)
  1. 2016/03/10(木) 00:01:07|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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