イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア総督(3)トリブーノ・メンモ

トリブーノ・メンモ(在位979~991――?ヴェネツィア~991ヴェネツィア)について、M.ブルゼガーン著『ヴェネツィア人物事典』(Newton Compton Editori、2006)は次のように紹介しています。
『ヴェネツィア人物事典』「トリブーノ・メンモ(or メーニオ)は、前任者ヴィターレ・カンディアーノ退位後、979年総督という玉座に選ばれた、ヴェネツィア25代総督である。ピエートロ4世・カンディアーノの娘マリーナと結婚した。読み書きが出来ない上に、余り命令も出すことなく、魅力に欠けたそこそこの政治家だった。サンテルマーゴラの自分の家を離れる事がなかったのは、多分総督宮殿が今だ建造中だったからに違いない。

確かに高名な人物ではなかったが、その選挙は色々の係争中の派閥の妥協の産物だった、総督職を血を血で洗う家族間の復讐劇を鎮めることは出来なかったからである。とりわけ目立ったのは、カンディアーノの親戚であり、オットー2世とモロズィーニ家から特権を与えられ、オルセーオロ家とも縁戚になり、ビザンティン派に属していたコロプリーニ家との争いだった。これらの人々の間に生じた数ある抗争の中で、若いドメーニコ・モロズィーニが殺され、コロプリーニはドイツの神聖ローマ帝国皇帝に保護を求め、ヴェローナに避難するしかなかった。

これらの人々はヴェネツィアに対して船での防衛線を構えており、全臣下に対してラグーナの町との交易を禁止していた。総督はコンスタンティノープルに息子マウリーツィオを派遣したけれど、ビザンティンを介入させようという試みは無に帰した。モロズィーニ家はコロプリーニの館に押し入り、略奪行為をし、妻達を連れ去るという復讐をした。オットー2世が亡くなると、ヴェネツィアの町に対する封鎖も攻略も終わりとなり、世の中の流れは穏やかなものとなった。

しかし一族の長であったステーファノ・コロプリーニは、総督が保証したけれど、ヴェネツィアに戻る気はなく、トスカーナ公の元へ向かった。しかし彼の一族達は故郷へ帰還し、数年後モロズィーニ家に殺された。

991年3月、トリブーノ・メンモは今や老人で政治をこなす事も出来ず、退位させられ、サン・ジョルジョ修道院の修道士になるしかなかった。修道院には莫大な贈り物をし、数ヶ月後亡くなった。

彼の在籍中、サン・マルコ寺院は通達で、総督個人の物とされ、宗教行事はその長の総督に任される個人的な礼拝堂ということとなった。1610年サン・ジョルジョの修道士達は、修道院に対する功績を記憶に留むべく、イストラ半島石の上に総督の胸像を置いた記念碑を建てた。彫刻家ジューリオ・モーロの作品である。」
サン・ピエートロ・ディ・カステッロ大聖堂教会内部左、カナレット画『サン・ピエートロ・ディ・カステッロ大聖堂』、右、現在の教会内部。イタリア・サイトから借用。 [775年総督マウリーツィオ・ガルバーイオが、初期ヴェネツィアの中心でもあったオリーヴォロ島を将来のカステッロ司教区として初代司教を迎えるべく、オベラーリオと命名して新しく司教の在所を設けました。ヴェネツィアがこの地域の主都となり(812)、841年聖堂をパルテチパーツィオの息子であった司教オルソ・パルテチパーツィオが再建し、伝道者聖ペテロに献堂され司教座となりました。以来1807年にサン・マルコ寺院がナポレオンの命でヴェネツィア大聖堂となるまで、サン・ピエートロ・ディ・カステッロ教会に司教座が置かれていました。

この時期ヴェネツィア総督となったパルテチパーツィオ家の人々は、10代アニェッロ(811~827)、11代ジュスティニアーノ(827~829)、12代ジョヴァンニ1世(829~836)、14代オルソ1世(864~881)、15代ジョヴァンニ2世(881~887)、18代オルソ2世(912~932)、20代ピエートロ(939~942)の7名だったそうです。]
  1. 2016/03/03(木) 00:01:45|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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