イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア街案内(2)

(続き)
「この素晴らしい館を訪れた後は、ヌオーヴァ大通りをさっと横切って〝アッラ・ヴェードヴァ″としてよく知られる、居酒屋カ・ドーロに入ってみよう。ここを後にして右ピストール通りへ向かう。左に現在人気のある店、アイルランド・パブThe Fiddler's Elbowがある。『ヴェネツィアの民話』の始まりの頁で出会う橋まで真っ直ぐ行き、渡橋して行くと、Vini da Gigio という記憶に値する小さな食事処の前に出る。
本文キオード(釘)橋サン・フェリーチェ運河通りを右に行くと欄干の無い橋(他にはトルチェッロ島にあるのみ)を見ることになる。昔は欄干の無い橋が普通で町の各所にあった。そこを後にして、ミゼリコルディア海岸通りに続くミゼリコルディア橋を渡橋する。続くオルメズィーニ運河通りは近年、ヴェネツィアの青年達の夜の集会所となった。
[上掲のキオード橋を撮影で使用した映画について、2011.08.20日のヴェネツィアの橋で触れました。]

ここには異国的レストランが幾つかある。アラブ風シリア風メキシコ風、そして〝失楽園″はとりわけ不思議なロケーションで、出会いの標準スポットとなり、ジャズのライヴを聞くことが出来る。

夜の楽しみは又にして先を急ごう。橋を降りて前方を見ると、バルダッサッレ・ロンゲーナ作のレッゼ館である。共和国滅亡時、最初に詳細に調査された建物で、かつてティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットらの大作が豊富だった。近付いて見ると、左の角、2階露台下に興味深い錬金術に関する浮彫があり、その角に隠れるようにしてあるハルピュイアはお節介者である。更にその上の二つは《謎》である。

その右には山のような赤レンガの建物ミゼリコルディア同信会館が聳え立っている。内部の一部は未完であるが、サンソヴィーノの堂々たる作品である。その辺りをくるりと回り、アッバツィーア広場に通じる木の橋を渡ろう。そこでは現在閉鎖された教会を眺めることが出来る。傍にお薦めのミゼリコルディア古同信会館がある。1600年代に天蓋付き大扉が外されてしまい、現在はロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に収まっている。街の中心から外れたこの地区は、建物全てを含めて、ヴェネツィアでも最も快適でロマンティックな一角である。

これらの美しい、魅惑に富んだ建物は、コルト・マルテーゼの時代、画家イターリコ・ブラス(有名な映画監督ティント・ブラスの祖父――彼は今やエロチック映画の巨匠になってしまった)の持ち物だった、当時興味深い美術コレクションを所持していたが、彼はA. マニャスコを再発見したのであり、結局はアッカデーミアに収められる沢山の作品を手にしたのであった。更にサン・トロヴァーゾ運河通りに1925年建設された教会の壁面でも見られる、中世の浅浮彫と盃が見られる。

海岸通りを行くとマドンナ・デッラ・ミゼリコルディアの美しいアーチが現れる、ここノーヴァ広場とこの周辺は貧しい人々のために信者会が住居を建てた地域である。スクェーロ(ゴンドラ造船所――現在ここは営業していないらしい)に面した木の橋の前で右に回ると、サッカ橋に出る。そこからのラグーナ北の眺望は素晴らしい。この景色について、ロシアの詩人ブロツキーは世界にまたとない水彩画と語った。
[ヨシフ・ブロツキーについては2009.11.07日のヨシフ・ブロツキーをご参照下さい。]

サッカ・デッラ・ミゼリコルディア(ミゼリコルディア湾)のもう一つの場所に、これもまた〝ヴェネツィア人″スティーヴンソンがある窓から遠望したのだが、著作された時以来、彼はアヴァンチュールを残し、ここからのラグーナや鴎の姿を称賛したのだった…。

目前にはコンタリーニ館があり、その背後には庭や菜園、また前に書いたカジーノ・デッリ・スピーリティがある。 ……」 (3に続く)

カジーノ・デッリ・スピーリティについては、次のブログカジーン・デッリ・スピーリティ(1、2)をご参照下さい。
  1. 2016/04/28(木) 00:20:57|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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